2017.11.16

ブレードランナー2049

 SF映画の傑作のひとつと言われているし、前作の近未来の雰囲気がすごくて、見なくてはと思った映画を見てきた。ストーリーは続編なので、前作は見ておきたい。その1982年の前作で描かれていたのは2019年だったそうで、今回は2049年30年後だ。前作で印象的なロスアンゼルスの雨が降り続く中うどんを食べるシーンと同じ雰囲気、は健在で、それと音楽や廃墟のシーンに惹かれた。ストーリーより未来に行った気分を楽しむ映画だと思いました。

 あと30年で、車が飛ぶ時代にはなりそうにありませんが、ドローンによる監視社会も怖い気がします。ホログラムの彼女は、あと20年くらいで実現するんじゃないでしょうか。彼女の着ていた黄色いビニールの上着がほしいと思いました。レプリカントは、まあクローン人間というところで50年後くらいにはありえますね。いずれもディストピアが近いという気がするのは、みんな感じているんだなと思いました。

2017.11.15

南多摩の思い出③

 高校から大学生にかけて、70年代の後半であるが多摩ニュータウンはさらに開発を続けていった。造成地をみるのが当たり前だったし、造成地で遊んだり、地学の授業で化石堀りもしたし、仮面ライダーのような戦隊もののロケもよく行われていた。子供はどこでも遊び場にするが、刻々と変化する造成地は、飽きるほどたくさんあり、変化していった。そして、尾根幹線を超えて南側には手つかずの多摩丘陵の姿(谷戸地)が残されていることにも気づいた。そういうドキュメントタッチの姿を気まぐれに写真に撮っていただが、ネガを紛失してしまい惜しいことをしたと思っている。

 初期のころは、商店街にまずまずの活気があった。ただし、ちょっとした買い物、例えばレコード店などは聖蹟桜ヶ丘まで行かなくてはならなかったし、普通の街にはたいていある金物屋(工具などもそろえた)もなかった。成人式をむかえたころ、皆で新宿の高層ビルの中のパブに飲みに行こうとかなんとか言っていのを覚えている。ここは田舎であるという意識はずっとあり、当時目黒区にあった都立大学まで1時間30分かかって通うのが億劫だった(91年に南大沢に大学の方が引っ越してきたが)。

 80年代の後半からあとは独立して実家を離れたので、どんな変化があったのかはよく知らない。調べてみると、89年に多摩センターに「そごう」が開店して、2000年に閉店している。このことを見てもあまりぱっとした地域ではないと思う。しかし、それから、かれこれ十年以上たってずいぶん様変わりしていたので、びっくりしたというのがこの感想になっています。もう一度住みなおそうかな、とおもったり。21世紀というのが子供のころには未来に思えたの、それがそろそろ20年もたつという、時の流れを実感することが最近多いです。

2017.11.14

南多摩の思い出②

 地域開発、というのはその当時の国是のようなものだったのだろう。だが、そこに住んで開発されていく様を目のあたりに見るのは、たぶん廃墟を見るのと同じような感覚だ。きれいな建物、きれいな公園、新しいショッピングモールができてそこに住む。しかし、あの山を崩して出来上がる建設過程をみると、ようするに出来合いの代物だ。街とは住んでいる人が作るものだろう。こう思うのは今だからで、当時の自分にとっては強制疎開させられて、それが良いのだと無理やり押し付けられている感じだった。白けていた。

 高校もニュータウンにできた永山高校だった。高校進学は結構シビアな分かれ目だ。そこそこ勉強ができた私は、公立2番手くらいの偏差値で都立の群制度で神代府中くらいと言われていたのだが、先生たちの指導が入った。新設高校の永山に優秀な生徒を送ってレベルの高い進学校にしよう。というので、本人が強いて嫌がらねば、どうだねパイオニアになってみないか。という勧告にしたがい、その他の連中といっしょに永山に入った。ちょうど京王線が調布から延伸してきたので、結構遠い調布あたりの中学からも、ちょっとガラの悪い子らも入ってきて、質が様々だったのが良かったのか悪かったのか。なにしろ、学校の場所はニュータウンの南の境界の尾根幹線沿いで、永山駅からはバスに乗らねばならない。こんな不便な立地にあって、偏差値など上がるはずはない。当時新宿高校からやはりパイオニア精神で永山高校に転任されて尽力された、私の1年の担任(数学)と剣道部の顧問であった恩師のYG先生がOB会のたびに、駅に近いところに作る案もあったのになー、とこぼしておられる。

 私は、高校まで歩いて15分ほど、確か始業は8時40分だったから、朝ドラが始まるくらいに家をでれば間に合った。それでも、遅刻常習犯だったと思う。当時の都立高校というのはほんとに自由おおらかで、よほどのことでなければ、問題にならないし、何というか先生も生徒も暗黙に同じところに線引きをしていてうまくいっていた。うちの親もふだんからぼんやりした人間がさらにぼんやりしてくのじゃないかと心配した。電車に乗って遠くまで通う経験をさせなくて大丈夫かと言っていた。

2017.11.13

南多摩の思い出①

 今尾恵介さんの著作になぜ惹かれるかというと、ただ地図を読むだけでなく、地図に過去が記録されていることを利用してタイムスリップができることを教えてくれるからだ。残そうと思って作られたものでないだけに、むしろ価値がある。養老先生は日本人ほど過去を消すのが特異だと言う。もちろん地図からもいろんなものが消されたりする。戦争中の偽記載なども、そういうウソの記録として残ってしまった。地形図は、版を重ねるごとに土地の様相を記録していく。それを肌で感じたのも、多摩ニュータウンに移り住んだからかもしれない。地図は考古学的、考現学的な一級の資料といえるだろう。

 今だから暴露するが、移り住んだ賃貸(当時住宅公団の)集合住宅は、突貫工事で作ったのがよく分かった。壁紙で胡麻化していたが、コンクリがむき出しの壁にはテコの跡があったり、階段の段も適当な間隔だったり傾いていたりしていた。そんなのが我が家の新しい住まいだった。どうして引っ越したかというと、それまでも八王子の集合住宅いわゆる団地住まいで、妹も私もそろそろ別の部屋が必要で2DKでは狭くなったためだ。当時は建設ラッシュでいろんな団地ができていたが、ようやく抽選に当たり、引っ越したというわけだが、今思うとそれが多摩ニュータウンだったのは特異なことだった。なにしろ、すべてが新しい街で、学校も新しいから、生徒はみなあちこちから引っ越してきた転校生ので構成されていた。昭和46年に入居が始まった諏訪と永山地区だけなので、中学は1校しかなく4月に開校した当時は1学年20名ほどだったそうだ。2学期になって(夏休み中に引っ越した)私と一緒にそこに7,8人転校生が加わり、たしか2年生になるときには2クラスになった。振り返ってみると、どの友達も同じ団地住まいで、親の年も年収もそれほど差がない、昔で言えば長屋住まいのような若いサラリーマン家庭ばかりだっといえる。会社の重役だとか名主みたいな家の子は当たり前だがいなかった。

 なにより、陸の孤島といわれたように、まわりの丘はいたるところでまだ造成工事が行われ、ブルドーザーがうなりを上げていた。緑が削られ、赤土の場所が次第にコンクリートの建物に変わっていくさまを大学生になるころまで見ないことはなかった。今まさに作られていく新しい景色は、自分にとって既知のものではない。どうつくろっても、かけがえのないものとは言えない。そんなアイデンティティの喪失感が、私の性格にも反映されているはずである。


Dsc_0051


2017.11.12

南多摩50年の軌跡

 いかにもローカルなタイトルであるが、昨日実家のある多摩ニュータウンで開催中の地図展2017を見てきた。

 中二の時に多摩ニュータウンに移り住んだ。これは、結構稀有な体験なのかもしれない。多摩ニュータウンとは何か、から話し始めないといけないことになるが、要するに高度経済成長時代のあだ花のような場所である。1971年のことである。昭和46年でもある。今でこそ、多摩センター駅にはモノレール、京王プラザホテルがあり、南大沢には首都大学東京が鎮座しているが、永山駅の周辺に諏訪地区永山地区の団地が建設されたばかりだった。陸の孤島と呼ばれた。

 もちろん、そこで中2から成人して独立するまで住んでいたのだから、故郷でもある。変化の激しいところだっただけに、いろんなことが凝縮されていると、改めて感じた。いっぱいあるので、とりあえず話の始まりと思っていただきたい。
Dsc_0053


2017.11.04

株高

 トランプ景気だろう。9月後半から株価が日本とアメリカで上昇続き。こんな大事件が、特に報道もされない。平均株価23000円とかになりそう、バブルが心配。きっと経済界は戦争を期待している。ミサイル売ってるアメリカが好調なら日本もだ。

 ニュースで、ミサイルの商談の映像があったが、きっと日本製の部品も使われているに違いない。みんな(お金儲け好き)はほくそ笑んでいるのだろう。

 イバンカとかもいい加減にしてほしい。マスコミと安倍はイバンガを持ち上げ、バガ丸出しではないか。

 韓国は大丈夫かもしれないが、浮かれていると日本にミサイルが撃ち込まれるぞ。

 きっと、それでももうかればいいと思ってるんだろうな。Photo


2017.10.21

NHKの北斎番組

 9月から、宮崎あおいが演じた娘のお栄(応為)のドラマ、ほか北斎とゴッホ、神奈川沖浪裏、赤富士などの北斎をテーマにした番組が、数えたら7つもあった。大体録画してみて、改めてすごい絵師(画家)であることを認識した。富岳三十六景は70過ぎてからの仕事とか最初の赤富士はピンク富士だったとか、神奈川沖浪裏の波の形はフラクタルで5000分の1秒のハイスピード撮影でなければ見えないとか、どれも超絶技の話が面白かった。天才であるゴッホの絵にほとんど影響を与えているのだから、世界最高の画家かもしれない。

 生涯に93回引っ越しをしたとか、娘のお栄のジェンダーフリーな姿とか、生き方も好きになる。

 選挙があったり台風が来たり、世間は騒々しいが、運慶だの北斎を楽しむ方よほど良い。

2017.10.19

NHKEテレオイコノミア「おしゃれの秋!ファッションの経済学」

 NHKばかり見ている。民放のコマーシャルはうるさいし、そもそもつまらない番組が多い。で、表題の番組だが、流行ということについて考えていた。流行とは何か。
 基本、今までになかった新しいものである。しかし、変なのもでははやらない。みんながほしがるもの?というと、まず、誰かがこれ良いよね、という始まりがある。ここで良いとは何か。ファッションの場合、場合によってはぜんぜん機能的なかったり、ほんとに意味の分からないムーブメントであることもしばしば。予測ができない。又吉という人もそういった人にはない流行をつかむ感覚の人だと思う。 篠原ともえも出ていて、この人は結構普遍的な感性を持っているし。

 スノッブとバンドワゴンという話など、社会心理学の用語らしいが、面白かった。

 若い女性がワンレンボディコンという時代が思い起こされる。で、逆説的に今より80年代は、皆貧乏だった。大学生がスーツを欲しがったという。ただし、就活のためではなく、彼女とデートするのに必要だった、というのを今さら思い出した。現在の学生など、ファッションなど二の次で、昔の方が洋服への出費が多かった、とか大いに発見がある番組だった。l

 

2017.10.15

運慶を見たくなった


 見に行こうと思ってまだ行っていないのだが、開催中の特別展「運慶」。今朝のNHK日曜美術館で見てしまった。
みうらじゅんが、最後に「スゲェー運慶」と感想を言ったが、まさにすごーい。無着世親の後ろ姿、手には血管が浮き出ているという。やはりこれは見に行かなくては。
  よくクールジャパンとかいうが、12世紀にこのような写実彫刻が世界にあったかというのは知られていないんじゃないのか。ミロのビーナスもすごいが、それにならったというミケランジェロのルネッサンスは16世紀だろう。日本のその後の彫刻というのはすたれてしまったのがなぜなのか、理由を知りたくなった。11月26日まで、暇なときに行けるといいが。

2017.10.12

やはり温暖化だと思う

10月に入って,暑い。衣替えと思ったのに,季節感がおかしい。暑いのは太平洋高気圧(亜熱帯気候)の圏内に入っているからだ。この時期まで太平洋高気圧が強いというのは,異常気象とは言えないかもしれないが,あんまり経験にない。ふつうは秋霖(秋雨)もおわって,移動性高気圧の秋晴れが来ていいはずだ。夏の終わり,つまり9月ごろ涼しくってよかったじゃないか,と思う人もいる(涼しいのはありがたいが)かもしれないが,これはオホーツク海高気圧がずっと居座っていたためだ。オホーツク海高気圧は,本来梅雨寒をもたらすもので,9月は台風シーズンのはずが,去年あたりから台風がやってこなくなった。オホーツク海高気圧の勢力が強いためとも思われる。思うに,太平洋高気圧がオホーツク海高気圧に相当するようになったと思っている(専門家ではないのだが)。

 明日あたりから,前線が停滞して雨が続くようだが,これが秋霖に相当するようにも思われる。すなわち,日本の夏が,亜熱帯から熱帯になり,北太平洋高気圧がオホーツク海に移動し,季節が1か月以上遅れていると解釈することができる。台風20号が月末にやってくるみたいだ。星が見えないのが何より気に食わないのです。

2017.10.10

情報量の問題

 解散から3週間あまり,選挙の公示が今日であるが,結構分かりやすい構図になっていると思う。とくに立憲民主の枝野さんに期待したい。保守リベラルを自認している説明など,いわば目から鱗だと思う。
 
 考えてみると,民主党が民進党に名前を変えたくらいから,もう中身はぼろぼろだったのだろう。その昔,自由民主党,民主社会(民社党),社会党,共産党という時代は,この順番で考えれば良かった。でだいたい自由資本主義と社会主義のどっちかという選択で良かった。しかし90年代初めにソ連の解体でこの構図は終わったのだから,次なる枠組を造る必要があったのだ。さきがけとか,日本新党,なんて要するに新しいですというだけで,はては大阪維新だの,幸福実現だの,意味が分からない。それで,民主党時代に震災や原発事故があって,野党というのはなんだかわからなくなった。北欧の国々みたいに人口が少なければ,民度もあげやすい気がするが,日本みたいに古い農村から大企業の親玉までがちがちの保守的な路線を変えるには,相応の時間がかかったのかもしれない。

 情報量が多いと人はダメで,パッパッと短く簡単に言うほうが分かりやすいので,安倍や小池に騙されてきたが,いかにもいい加減インチキなのが露呈して,そういう意味で時間が問題を解きほぐしてくれたとも言えそうだ。今回ようやく東日本大震災と原発事故後の日本を考えるときが来たようなきがする。

 情報量が少なかった昭和が良かった。と先月までの「ひよっこ」に拍手喝采を送った人たちの一票は,自民党か社会党のどっち時代に戻れるような気がしている今日この頃である。

2017.10.02

ETV特集 いきものがかり水野良樹の阿久悠をめぐる対話

 もう,先週の番組だが,タイトルからして面白そうなので録画して見た。いきものがかりは,結構昭和が入っていると言われているし,作詞作曲も上手い。水野は,もう個人的な思いが普遍的に伝わる時代ではない。一人一人異なる価値観や経験の時代にどうやって曲を作るか悩み,70年代に時代をとられていたという阿久悠について,思いをつのらせたという。ロッキングオンの渋谷陽一が,その昔,ビートルズはそれまでの欠落部分を補うことでヒットした,と言ったように,70年代の歌謡曲はピンクレディーに象徴されるような実験的な奇抜さがあって,そんな時代はもう二度とやってこないとも言えるだろう。しかし,北の宿からや津軽海峡冬景色のような,寒さながらに編むセーターとか,夜行列車を降りると雪だったりとかの叙情は,やはり阿久悠にしか書けなかったのだろう。番組の中で,糸井重里が「サカナはあぶったイカでいい」(舟歌)というのはもはや思想だと言っていた。
 
 番組では阿久悠作の「愛せよ」という詩に水野が曲をつけてレコーディング(歌手は山本彩)の様子までを伝える。なかなか,良いメロディーだし良い曲になっていた。これがコマーシャルではない(結果としてなったとしても)のがさらに感動的だった。
 
 上手く言えないが,これも昔のスネークマンショー(知ってる?)のように,良いものは良いんですよね,としか言えない。大衆芸術というか,万人受けするものは,これからも生み出されると思うし,水野の一途さが伝わってきて,いきものがかりをはじめとしてこれからの活動に期待したいと思った。

 

2017.09.23

世代ギャップ

 安室奈美恵の引退宣言を聞いて考えてしまった。学校で今の生徒に聞くと,安室奈美恵を「知らない」という反応もあった。おそらく,朝のニュースで親が反応したのを見て何事かと思ったのではないかと。

 90年代というのは,世の中が平成になった時代だと思う。2001年から21世紀だが,それが平成13年。数えになっているから,+17年つまり2018年,来年で平成30年になる。そう思うと自分の青春時代70年代からは要するに半世紀となるわけだ。そんなのはいわば,時間がたったという当たり前のことではあるが,長く生きた方からすると感慨深い。

 考えたすえの結論は,20年というのはあっという間で,ほとんどがらりといろんなことが変わるということかな。20代だった人は40代になり,40代だった人は60代になる。年齢相応がターゲット(よく言うアラフォーとか)になっていることがらは,20年すれば完全にずれると言える。

 よく一世を風靡というが,それが音楽とかテレビ番組とか,もう人によって違いすぎて話が合わない。逆に,不易というか,ビートたけし,ユーミン,くらいしか思いつかないが,息の長いタレントやアーティストもいる。ユーミンは現在63たけしは70歳だ。21世紀になってすでに17年。オリンピックが56年ぶりに行われる2020年まで,平和でおだやかな日々は続くのだろうか。

 

2017.09.20

アナログ

 たけし,つづきなのだが,ビートたけし(北野武)が恋愛小説を発表したそうだ。→こちら
 さすがに多才というべきだが,題名の「アナログ」について,「スマートフォンは嫌い。IT産業が世界中の人間に手錠をかけたと思ってる。便利だけど、貧富の差が開いたことへの影響も感じる。なるたけアナログで行きたい」と答えている。同感である。
 サピエンス全史のハラリ氏も,少なからず将来GoogleやAmazonのようなIT企業が世界中の人々の個人データ(知能や性格まで)をデータとしてもつことになると指摘している。理由は小学生にも分かるだろう。スマホはなるべく使わない方が良い。

 小田嶋隆が書いているように,昭和50年代まではさまざまな団体の住所録を集めて売っていた。生徒名簿,会員名簿などの住所が漏れたとしても,DMが手書きであった時代にはだれも個人情報の流失などと騒ぐこともなかったのである。90年代までは,パソコンだってなかばおもちゃみたいなものだったし,インターネットだってこのniftyのフォーラムとかに入って情報を交換するくらいだった(5年も続かなかった気がするが)。デジタルが今のように席巻しまくるようになったのは,たぶん半導体の加速的進歩でより速く,莫大なデータを扱えるようになったためで,だからといって世の中(世界というか自然界)が変わったわけではない。はっきり言って2000年代から余計な仕事がどんどん増えていったと思う。いつも言ってるが,コピー機もなく,ガリ版ずりの謄写版の時代は,プリントなんか滅多につくっていなかった。そろそろ紙ベースの情報さえ無くなりそうだが,結果として誰もが馬鹿になっていくだろう。

実際,この世の中はデジタルで記述できるはずがない。どんな大きさだって,1,2,3‥‥と区切られておらず,定規をあてれば,何処までも誤差がつきまとう実数(意味分かります)なはずである。ちょっと前まではCDはデジタル化しているから音質が損なわれていて,レコード(アナログ)の方が良いに決まっている,と言っていた(90年代前半くらい)ものだ。

 そのことを,知らない世代というのが,ほんとに言うとちょっと怖い。子どもには,なるべく自然から直接受けとる感性(センス)を育てて欲しいものである。昔は,物理の授業で,誤差の測定というのを最初にやったのだけれど,ほんとそれって何よ,としか今の人は思わないだろうな。やはり,ちょっと怖いと言っておこう。

2017.09.17

昭和歌謡

Cimg3827

 NHKBSのたけしのこれがホントのにっぽん芸能史「J-POPvs昭和歌謡」を見た。このシリーズはどれも面白い。ただ,コミックバンドの回で,ビジーフォーが出てこなかったのが解せなかった。それはさておき,多くの人(中年以上)は,音楽は昭和を(それ以外でもだが)懐かしがるのではないだろうか。単に懐メロというだけでなく,単純に言えば,メロディーも歌詞も,インパクトもすでに実験済みで,平成の音楽は昭和か何らかのパクりか,気まぐれでしかない気がしてくる。

 この番組でも,結論はおなじで,とくにアイドルの発生パターンは,70年代の中三トリオ(森,桜田,山口)の出現を,80年代に松田聖子が踏襲した路線が,2000年代のモー娘からAKBへバトンに酷似している。また,平成の小室哲哉プロデュース(安室,華原など)は,宇多田ヒカル(母藤圭子)の昭和回帰によって終わった。みたいな解説は面白かった。

 どっちにしても,平成が来年で30年。21世紀も17,8年になるということをつくづく感じた。イチローが大リーグで3000本もヒットを打ってしまったんだから,時はそれなりに過ぎているのである。自分にとっては,子どもから青春時代の思い出が一番で,仕事とか大変な頃の音楽なんてぜんぜん知らない。けれどこういう番組をやってもらうと,いろいろ時代というものを考えさせてもらえる。振り返ることも,とてもためになる。とつくづく思う。


«デナリ大滑降