2023.09.11

夏の甲子園と関西旅行

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神奈川代表の慶應義塾高校の野球部が,なんと107年ぶりに甲子園で全国制覇をなしとげた。107年前というのは,夏の全国高校野球(当時は旧制中学)第2回大会の大正5年(1916年)で,夏目漱石が亡くなった年だ。 そのころの野球は,漱石の朋友正岡子規がはまっていたという草野球に毛が生えた程度のものだったろうし,当時,野球部がある学校なんて全国に100もなかったんじゃないだろうか。なので,107年前に意味をもとめ,歴史としてつなげて考えるのはおかしいと,たいていの人は思うはずだ。にもかかわらず,エンジョイベースボールを掲げ笑顔でさらさらヘア,坊主頭なんて時代遅れみたいなメッセージが伝わったものだから,異質であることが脅威としてとらえられ,異様な応援で仙台育英のプレーが妨げられたといった慶応バッシングや,いや高校野球の新しい流れだとかいった指摘のヤフーニュースが決勝の後1週間以上もかまびすしく続いていた(私のスマホの場合)。

野球は,野球オンチでない人なら観戦して面白いと思うはずだ。球技の中でも攻撃と守備が入れ替わり,基本は打者とピッチャ‐の対戦なのに,競技場はすべてのゲーム中最大の広さを要する(戦争をのぞく)。1試合の時間も昔は延長18回なんてこともあり最長だろう。私も,中学で野球部に入り,下手なりにゴロをさばいたりフライをとったり,スローイングがだんだん上達して速いボール投げられるようになるのは楽しかった。どういうわけか私の父は,山梨の日大明誠高校(巨人の木田投手が出ている)の教員で学校が出来た時に勤め始め若かったので,その初代野球部長に就任したという。当時の対戦相手には巨人の堀内(知ってる?)が甲府工業高校にいたそうだ。今ではJリーグやBリーグなど様々なプロスポーツがあるが,プロ野球の人気には及ばない。前日ひいきのチームが勝つと気分がいいし,ヤフーニュースはたちどころにその人のひいきのチームを判定するようだ。

ここまでの話をまとめよう。①ヒトという生き物はゲームに夢中になる性質がある。②自分の所属する集団への帰属意識が必要で,ゲームの対戦においてその帰属意識から,どちらかのチームを応援する理由を探る性質,ないしひいきのチームが勝つ理由を正当化する気持ちが生じることがある。長くなったが,春の選抜に慶応が出たので,甲子園へ応援に行き,夏の神奈川大会準決勝や夏の甲子園の決勝へも足を運ぶことになった。春の選抜初戦で仙台育英に1-2で惜敗したのをバネに夏に決勝で雪辱を果たす,という奇跡のようなまさに劇的場面に立ち会わせてくれて,彼ら(関係者を含め)にはほんとうに感謝しその成果には尊敬の念を禁じ得ない。

というわけで,かみさん同行で春夏ともに新幹線で甲子園に出かけた。甲子園球場は大阪ではなく兵庫県西宮市で神戸のちょっと手前だが,新大阪からJRと阪神電鉄で30分もあれば到着する。ということを行って初めて知るわけなのだが,往復の新幹線代が甲子園の応援だけではもったいないので春は神戸の三宮,夏は大阪の天王寺近くのホテルに泊まって翌日に関西を旅行してから帰ってきた。かみさん(国語の教員)の専門は源氏物語だということで,春は須磨・明石(ゆかりの地),明石の天文科学館(日本標準時の場所),加古川の鶴林寺,そして姫路城,夏は四天王寺と京都の石清水八幡宮,宇治十帖の宇治をまわってきた。姫路城は高校の修学旅行以来で,国宝で今は世界遺産にもなっていて,日本の城郭でもっとも高い天守を誇る。若いときには感じなかったが,天守に登るのが結構きつく,5階ぐらいで前のおばさんの足がつって動けなくなるのに遭遇したほどだ。 そして,ようやくこの歳になって,はてこの城は誰が建てたんだっけか,と自分が知らないことを意識する。高校生ぐらいだと国宝とか言ってもフーンとかしか思わないものだ。無論,城のあるじ(城代,藩主など)は時代によって変わるから,よほどの歴史好き城マニアなどでないと答えらないクイズかもしれない。だが,天守閣からさらに西の丸というところに行くと,千姫の間とかいって説明や衣装や道具などが展示されている。ここでも,はて千姫って誰だっけ?と?が増してくる。有名な観光地なのに,つまり自分がいかにものを知らないかということ自覚するのである。入り口でもらったパンフレットを開いて読んでみる。千姫は,信長の妹「お市」の三女浅井「江」と家康の三男秀忠の間に生まれた子(家康の孫)で,秀吉の子秀頼に嫁いだが,大坂夏の陣で自害した秀頼と別れ炎の中から救出された。江戸に戻り,徳川四天王の本多忠勝の孫の忠刻(ただとき)に再び嫁ぎ,父本多忠政が入府した姫路城に入った。というわけで,歴史通なら豊臣秀頼の正室のことぐらい知っていて当然だとはいえ,こうして少しずつ知識が広がっていくのも旅行の効用だろう。今ある多くの城は戦闘用に作られているとはいえ実戦を経ているのは幕末での熊本城ぐらいのものらしい。

今年の大河ドラマ「どうする家康」は戦国時代を通しで理解するのに私には役立っている。信長から秀吉そして家康へという流れはわかっていても,脇役の武田や上杉,真田,明智などだけでも大河ドラマができるわけで,先に述べたようにひいきの立場(法則②)が違えば,歴史の見方も変わってしまう。また今まで,桶狭間で信長が台頭してから安土城,本能寺,関ヶ原という断続的な知識が,三方ヶ原とか長篠,小牧長久手の戦いを具体的に知ることでつながった。戦国時代という生き残りゲームに最後まで家康が残ったのは,たまたま長生きしたからぐらいに思っていたのだが,もっとしたたかな計算ずくでこの長いゲームの勝者となったというべきだろう。そしてその今川家の人質から大坂夏の陣までのしぶとさは,その後の江戸時代の気風にまで続いていることを知った(後述)。Img_20230824_091946

さて,旅行先で見知りすることもあるのだが,右の写真は今回事前に目的地として選んだ場所で,江戸時代の天文学者麻田剛立の墓だ。四天王寺から歩いて10分ほど。一昨年東京上野の源空寺の伊能忠敬と高橋至時の墓の写真を撮っているので一つのミッションである。日本の江戸時代の天文学は比較的レベルが高く,それはこの麻田剛立によるものと言える。戦国が終わって長く平和な江戸時代があったからこのような科学知識の進展があったと言われている(関孝和の和算などもそうで,西洋とは独立に発展した)。しかし,その江戸時代の気風というのは家康の性格を引きずっていると司馬遼太郎はいう。「覇王の家」(家康の生い立ちから小牧長久手の戦いまでを描いた小説)のあとがきから引用する。「中略~日本に特殊な文化を生ませる条件をつくったが、同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった。その功罪はすべて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格から出てている」。この自己保存に過敏な性格というのは,現在の日本の世襲政治とか大企業の内部留保の極端な多さなどに現れていると言っていい。よくいう島国根性だの村社会,同調圧力,空気,自主規制のようなものも同根なのであろうか。

 実は,わたくしT家の先祖は戦国時代の佐竹藩,佐竹義重付きの家老T隆定という武家である。家には代々古文書が伝えらえている。その中に,石田三成からの書状,というものがあって真偽は定かではないのだが大切に表装されて伝わっている。秋田へ転封になった義重の子佐竹義宣と石田三成は仲が良かったのでその関係だろうと思われる。そんなものが家にあるのだから当然だが私は三成びいきである。家康の会津征伐の時に伊達政宗が家康になびくのをやめて上杉,佐竹,伊達,最上が連合すれば,家康を倒せたはずだとかよく考えたりする。司馬遼太郎の「関ヶ原」を読むと,有能であるがゆえに嫌われ者の石田三成にえらく感情移入してしまう(島左近も好き)。考えてみるとこれも先にあげた法則②にすぎないのであって,この身びいき本能が家康的なるものと言うべきなのかもしれない。しかし,ひいきの引き倒しと言われようと,今年の慶應高校野球部の掲げるエンジョイベースボールによる全国制覇は,野球を越え現在の日本の閉塞的な状況に一石を投じる偉業と思い,その近くに居合わせたことを誇りとしたい。

2023.01.06

アバター・ウェイ・オブ・ウォーターを見てきた(ネタばれあり)。

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最初のアバター(2009年公開)を見た時もずいぶん感動ものだったが,もう十年以上前になるのか。始まったら,初作の最後の方の結末の続編になっていることに気づき,あれ誰が誰のアバター?で,そこから家族が生まれてきた(地球人とナビィのハイブリットなのか)という設定にすこし戸惑った。広告にあるとおり,IMAX3Dで圧倒的な映像体験であるし,海中の生物や波しぶきなどまでCGでここまでリアルに出来ることに素直に感激した。今回はパンドラの海が舞台になるが,その生態系をまたしても破壊するスカイピープル(人間)の悪行として,明らかに日本で盛んにおこなわれた捕鯨の残虐性を表現してくれる(皮肉)。こいつらを全部やっつけてくれるシーンでの拍手喝采気分は,インディアンの生き方に共鳴して白人をやっつけるダンス・ウィズ・ウィルブスの同じ場面を思い出した。ジェームズ・キャメロン監督は宮崎駿作品とりわけ「もののけ姫」へのオマージュであると言っている(Wikpedia)そうで,自然破壊や多神教の世界観がテーマになっている。日本の縄文文化が稲作社会に置き換わっていくのも似たようなものだなと思った。一方,家族ドラマとしても見ることができて息子たちの成長譚や女性の神秘性とかに物語性が盛り込まれていて,全体として,映画を見終わると大きなカタルシスを感じる作品だと思った。あと2回続編が予定されているようで,完結すると21世紀を代表する映像表現として(東洋的な世界観の拡大の意味もあるような)歴史に残るものになるだろう。それから,パンドラでは月一ぐらいに皆既日食が起こるようで,地球でいえば,月の公転面が黄道面とほぼ一致しているってことになる,というのも天文趣味的に面白かったです。まあ,大勢見に行く映画だと思いますが,お勧めしときます。






 

 

2023.01.05

斎藤環著「自傷的自己愛の精神分析」

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精神分析は,高校時代にすこしはまったりした。40年前は心理学がブームで,大学の心理学科に行きたいという人が結構いたのを思い出した。今,ひろゆき(氏)みたいなのがもてはやされる一方で,ひきこもりとか格差の拡大とかをただ指摘するだけでなく,だれもが漠然と感じる世の中の生きずらさや分断の時代背景を分析して説明ほしいという潜在的な欲求を満たしてくれそうだと思ってkindleで買ってササっと読んでしまった。学校時代の不登校から社会でのひきこもり,がどうも圧倒的に増えているとだれもが思っている(社会現象)はずで,若い人たちの生きずらさを,もっと何とかしなければと,私なんかは強く思うのである。はっきり言って現政権の問題意識のなさで,ひどくなっていく一方なのだが,その背景というか,人々の内面でなにが起こっているかを,分析して解決への処方箋まで書かれていて,広く読まれるべきだと思いました。

SNSの承認欲求とか,トランプ大統領の自己愛パーソナリティー障害とか,発達障害とか,アダルトチルドレン(現在は死語)などなど,心理学用語のはやりすたりの変遷から解きほどいて説明があるので,とても説得力があり,また論理的に理解できて納得しました。

2022.10.10

未来は過去からやってくる~思いがけず利他(中島岳志,ミシマ社)

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Amazon何気なく注文して読んだのだが,とても面白く共感した一冊。著者中島さんは政治学者というが,心理学とか倫理学というかテレビや新聞などの評論でも人のこころの綾みたいなものに触れて,考えさせてくれる方だと思う。つい最近NHKのロングインタビューという番組でも,安部元総理暗殺の背景について,日本の今,世の中の分断について歴史をふまえて的確に伝えていたと思う。

利他的行動,と一口行っても難しい。情けは人のためらず,というのは自分のため。だとすれば,それは利己的ではないのか。という問いを続けていく。結論は,利他行動というより,よりよい生き方の問題になっていて,私たちは何かを得ようとして,それが得られるものではなく,思いがけず外からやってくる,いわば偶然によって導かれるように生きている,それが重要だという。私たちの存在自体がよく考えれば,偶然にすぎず,すでに多くの人(存在)からの恩恵(仏教でいう縁)で成り立っている。自分の選択といえども,過去に因縁があると考える。ことによって,世界を受け入れていく‥‥‥。うーんうまく言えない。ぜひ読んでみてください。過去のある時の選択や導きが今の自分を作っていると考えれば,自分も他に対して影響していて,自然に利他にかかわっているんだと,いう認識がもてて一つ気が楽になりました。

2022.03.21

「子どもが心配」PHP新書,養老孟子著

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 デジタル時代を幸せにする教育論と帯にあるが,養老さんは相変わらず,現代人がさらに脳化した社会に病んでいるのかを解いているのであって,そういう意味で子どもがかわいそうな時代だと,大人をなんとか教育したいのだ。

 私の子供のころ昭和30年代~40年代には,いたるところに空き地のような,いまであれば,絶対立ち入り禁止となるような,管理されていない場所が多くあった。そういう場所で自由に遊べた。空想の世界で何でもできた。ホントに毎日楽しかった。今の子どもたちはかわいそうに思うが,それがないと想像できる。最後の子どもは「人材」ではない,という見方など,自分の子供時代を振り返って幸せだった人なら,むりやり人を枠に当てはめて育てることがいかに間違っているかわかるはずだが,現実はそうなっていきそうにない。子育てするには,都会より田舎がいいというのは誰もが理解すると思うので,なんとか変わっていってほしいものです。

2021.09.28

AI支配でヒトは死ぬ。システムから外れ、自分の身体で考える 養老孟司著 ビジネス社刊

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タイトルが過激で良いですね。早速注文して読みました。表現者クライテリオンという集団のメルマガがきっかけで対談が行われたそうです。聞き手の方がすごくラジカルなので,養老先生も歯に衣をきせず,言いたいことが言えている感じで読んでる方もスカッとします。バカだらけの政権やマスコミ報道,それに不満を感じない人々にうんざりしているので,何度も読み返してストレス解消してる感じです。

2021.09.23

格差の拡大

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厚生労働省のページから

数年前にも,日本の世帯収入の平均と中央値の差について,ここに書いたことがあったが,ここ10年の変化を見るとますますはっきりしている。これを,政治家もマスコミも問題として取り上げないのはどうかしているし,こんな国に住んで安穏としている我々は,バカじゃないのか。とすら思う。武田砂鉄さんのラジオやTwitterで発言をよく聞くのだが,ニュースは何か起こったときのことだけしか伝えなくて,連綿と続く改善されない問題など扱わないことになっている(聞く方も,またその話題?もういい加減にしてくれ状態)のだそうだ。

 自分と比較しても,年収400万円で妻子がいる世帯というのは,かなり切り詰めた生活だと思う。よしんば,1人世帯だとして,このような人達で日本の世帯のほぼ半分に達しているというのは,どう考えるのだろう。しかも10年前から5,6%も増えているのだ。このコロナで,状況はさらに悪化しているはずで,来年再来年あたりのデータとか,きっと適当に改竄されるような気がする。全世帯の1/3が300万円未満というのも,もちろん農漁村のような半自給のような方達も含んでいるとは言え,ハッピーな気にはならない。このグラフの上の方にある(平均以上の載っていない世帯)が,39%なのだ。繰り返すが,このひどい傾向がますます進んでいるのだ。子供達に,なんら明るい将来を提示できない,こんな話はそれこそなかったことにするほうがいい,と私さえ思いたくなる。おそらく,だれもが,うすうすそう感じながら生きているのが今の日本だとはおもうのだが。

2021.09.03

最近と,ここ20年くらいのメディアの変化と温暖化など。

 コロナの感染拡大と東京五輪を中止しなかったことが影響しているのは自明で,そんなバカな判断をする(何もしていない)政治の挙げ句の果てが今,ガースーらが政局闘争に躍起になるさまにあらわれている。アフガンの現地スタッフ約500人を救出するために出かけた自衛隊輸送機で1人の日本人しか連れて帰れなかったのも,日本政府がアフガン情勢にまったく無関心だったから,というのもよく分かる。昨日のデジタル庁の発足とか,新1万円のニュースとかもバカすぎて,ニュースはどれもこれも腹の立つものばかりだ。マスコミのパラリンピックのメダル獲得の話題にごまかされてたまるものかと思う。

 書きたいこともないのだが,前からwebでよく読んでいる,小田嶋隆氏のコラム(ア・ピース・オブ・警句)で最近,小田島さんと高校時代の同級生で元電通CMプランナーという岡康道さん(昨年逝去)の対談(人生の諸問題)がネットで読めるのようになったのですが,それがすごく面白いです。自分の人生に重ね合わせ受け売りですが,思ったことを書いておきます。何年かたったときに反省材料になるかもしれない。

 近頃は,テレビよりもネット上の動画配信やニュース記事,本も本屋で買うのがめんどくさいときはキンドルでダウンロードしてしまう。それとFaceBookなどのSNSで「いいね」をもらおうとしている。仕事もいれると,一日の大半はパソコンに対面して過ごしている(今夏休み中なのでなおさら運動不足)。そのうえコロナでテレワーク,学校はオンライン授業ともなれば,世界はパソコンやスマホの中に埋め込まれてしまったと言えなくもない。

 振り返ると,パソコンとインターネットは90年代の後半(’97ぐらい)から,iPhone2007年に登場し(ちなみに,デジカメは2000年にはあったが,普及したのはやはり2007年頃からか)FBTwitterが普通になったのも2011年頃だし,テレビが地デジになったのも2012年だったか。なにもかも(スマホなしでいられないような生活は),ここ10年くらいにはじまったことにすぎない。

 こういった,活動(マンマシンインターフェイス)が肉体労働ではないほとんど情報のやりとり,これをメディア(古くは新聞ラジオテレビ)という,とすれば,急激なメディアの変化が我々にどんな影響を及ぼしているか専門的に解析したり善し悪しを提言することも大事だろう。回りくどい言い方をしたが,小田島さんのコラムはそういうメディアの変貌ぶりをいつも軽やかに解説している。

 この20年くらいで起こった変化というのは,彼によれば,紙媒体である新聞や雑誌の部数が減ってマスコミ業界が不況になり,新聞記者とかジャーナリストという職業は花形ではなくなった=記事の内容の劣化。素人が文章をブログで書いたり,ユーチューバ-とか情報発信が誰にでも可能になると同時に,クレームや炎上に対して敏感な社会=表現への制限,炎上がニュースになる,PB(パブリックビューイング)を増やすことが目的になるなど,特に匿名で気軽に上から目線で発言できる変な世の中になったとか,まあ,言われてみれば誰しも感じていることだけれど。

 SNSの誹謗中傷で,命を絶ってしまうような問題まで,言葉(文章)がそれほど短絡的な影響を与えることに驚かざるを得ない。思うに,これらのネット上の発言は,感情が主で,好悪や善悪を投げつけるような,論理的な帰結はないか,間違った論理の物言いが幅をきかす‥‥ヤフコメ(yahooのコメント)をみるとよく分かると思う。結果的に世の中の人のバカさがはっきり現われるようになったと思う(=無教養でも発信出来る時代,というべきか)。

 確かに,情報があらゆる場所で発信され即座に伝えられるので,新聞記者もネットで記事を書くとか(取材をしない記事),多いのがタレントなどのTwitter の発信が下手すると大半の記事だったりする。しかも,PBを稼ぐことが広告収入になるので,見出しで興味をそそるようにしているが中身はたいしたことないのが多い。そして,なにか間違いや失敗や不適切があるとたちどころに炎上し,関係者が謝罪し,たたかれていること自体がニュースになる。テレビのニュースもここ数年来,監視カメラがとらえた映像やドライブレコーダーの記録で作るニュースが目立つ。たしか,5年ぐらいまえに,アルバイトの若者がふざけた仕事ぶりをしている写真がSNSで拡散して問題になったが,以来そういうおバカをやらない風潮が広まった気がします。まとめると,ネットの普及によって相互監視的な世の中になり,人々は出来るだけ外見上おとなしく,モラルに敏感に反応しはじめた気がする。ただし,そのモラルと言うのは人に迷惑をかけないというより,他人の振る舞いに敏感で,自己責任を強く押しつけるような自己中心的なものだと私は思っています(うまく説明できない※2)。人間誰しも,時にはふざけてバカをやったり,おっちょこちょいで失敗したり,それを自慢話にしていたりもするのですが,ひょっとして現在の若い人達は昭和の我々に比べるとずいぶん窮屈な青春時代を過ごしているのだと思う。

 我が家でも,娘が,もう30すぎているのですが,パートナーの相手(大学の同級生)とうまくいっているんだか。本人の仕事(資格免許のある対人相手の仕事)はコロナ以来収入減にあっていて,彼氏のほうもなかなか安定した職場にめぐり会わないようで,お互いイライラ型得ないらしい。立派な大人だからむやみに手助けや心配のしようもないのですが,最近の若い人たちに多いパターンかもしれないと思っています。事実,我々のような高度成長期の右肩上がりだった時代には,サラリーマンになってしまいさえすれば,年功序列という(今考えると絶対におかしい制度)のもとで60すぎまで相応の給料がもらえ,退職しても年金でなんとか食べて行けるというおいしい世代であって,彼らにとって疎ましい存在に違いない。多くの大中企業は自分たちの世代だけ何とかなるように給与制度を変えず,俺たち昭和の営業は残業なんてあたりまえ,とか若い人にパワハラまがいの待遇でなんらイノベーションも起こさせず,ブラックと思うならやめてもいいよ,式の経営でしのいでいるのだと思います。小田島さんが言っていますが,昔あった「プロジェクトX」という番組は,今見ると全部ブラック労働の成功譚になっていると。憶測ですが,使っているCanonのピクサスという印刷機は1年半位で壊れるので,もう2台も買い換えましたが,印刷がはじまるまでに1分くらいガチャガチャきぃーきぃー音がするような,ソフトが組み込まれていて,これは,何年も設計変更なんかしないで,古い現役世代のもの作りが(老害という感じで)ずっと踏襲されているからだと思います。こういった,社会全体の傾向が政治にも反映していて,というかマスコミも含む大企業の役員とかが政権を忖度し,この「今のうちだけ体制」を維持しようとやっきになっているわけで,特権(ワクチンも入院も自分たちだけ)を受けられれば,コロナなんかそのうちどうにでもなるとしか考えていないわけです。

 それに加え,毎年といっていい水害,土砂災害や世界中で起こっている異常気象は,地球温暖化の進行が待ったなしで進んでいることを示しています。毎年のように大雨が増えれば,適応することも可能だろうが,まれな現象が次々に起これば,災害は起こり続ける。これも,一般の人は温暖化で熱中症の増加や農作物への影響を心配するようだが,実際には気候変化によって引き起こされる(海洋深層循環の停止による)かつての氷期のような地球の寒冷化のほうが生物である人類への打撃は大きいことを考えたほうが良い。1993年の米の凶作が続くようなことを想定するべきだ。過去の気候変動での地球の平均気温と,大気中の二酸化炭素濃度の関係から言えば,いまさら排出量を減らしたところで,元に戻すことなど不可能と見るのがホントのところだと思う。地震だって,あと30年の間には大きいのが来るに違いないので,お先真っ暗という話になるのですが,なが~い地球の歴史とか,人類がいままでやってきたことを俯瞰すれば(ガ-スーが「俯瞰的に」とか意味もない使い方をするから,言葉が汚れっちまったな)養老孟司先生いわく,人間(脳化社会)の存在自体が地球にとっての厄災そのものだと言えます。

 脳化というのは,要するに先に書いたようなIT,コンピューターによる人の脳の置き換えでもあるわけで,同様な人生の諸問題は,実は昔からあまり変わっていません。若い人が悩んだりつまずいたりするのは,私らだってあったし,格差が広がったとしても,勝ち組ばかりが幸せだとは,私は絶対に思えない。あんなアホな安部とか管の息子どももそろって超アホであろうことは想像に難くない。そのように理解して,若い人達には,希望をもって生きてほしいと切に願います。

2021.06.02

大澤真幸,木村草太=対談「むずかしい天皇制」晶文社刊

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 古代の天文学や曆に興味をもって,昔の人がどの程度,観測技術や知識をもっていたか調べたくなった。古墳などの建造物をつくる土木技術や曆の編纂などは時の政治勢力(豪族や天皇家)の権威を示す象徴でもあったから伝承されたであろうが,文書などの資料には残っていない。したがって,考古的な遺跡や遺物から明らかにするしかないのであるが,その最も重要な遺物である古墳の多くが宮内庁によって歴代天皇陵に治定(神話上の天皇まであって絵空事と事実の区別があいまい)されているために発掘調査ができない,という近代国家にあるまじき科学軽視の実体がある。そして歴史に目をむけてみても,なぜ武士が天下を治めるようになってからも天皇が存続し,その名の下に先の戦争が起き,敗戦後までそんな制度が続けられているのか,という疑問がのしかかっていたところ,出版された本だったのでAmazonで予約して3日前に手に入れて読んでみた。

 社会学者の大澤さんはよくNHKの歴史ものや討論番組などで知っているし,憲法学者の木村さんもテレビやTwitterで辛口の論評をされている。基本的には,大澤さんの解説と論評が主で,法律学的によく分からない点を木村さんに質問して議論が深まっていくという対論が,現代の天皇制の問題,歴史的な経緯,明治憲法と戦後憲法での位置づけという流れで行われている。読み終えて結論を一言で言えば,天皇制は大問題であるが,何故あるのか,どうすれば良いのか結局よく分からない,というものである。もっというと,日本ないし日本人の特質というべき「空気」というものが,天皇制そのものである,という締めくくりになっている。全体の議論がそれに説得力を与えていて最後にむなしい気分にさせられるのだが,たぶん多くの人がそう感じるのではないだろうか。

 問題となるのは,憲法で定められた国民の基本的人権が,天皇および皇室には認められていない,ということである。多くの人は,天皇は別格だと思っているかもしれないが,それなら,天皇にはどういう役割があり(国民の象徴とはなにか),どうやって認められる(世襲のしかたは皇室典範という法律できめられる)などが憲法にはなにも書かれていない。天皇は,国事行為(総理大臣の指名や法律の承認など)だけを行うというが,私的に慰霊やお見舞いの巡幸を行っていることなど,曖昧なままである。細かいことになるが,戦争と軍隊を放棄するいわゆる9条の草案をみて,昭和天皇はこれでは共産勢力に侵略されると心配して,アメリカに沖縄に基地を残すように直接働きかけた,ということが明らかになっているそうだ。このような政治介入をできなくする(平成天皇の退位も一種の異議申し立てであった)ように作られているわけだが,人権の問題も,これからの継嗣の難しさなど多くの問題が残されているのである。

 天皇が,空気を作っているというのは,政治家や軍人がけっこうダメでも,最後は天皇が戦争を終らせたり(814日の御前会議),慰霊の旅や被災地の訪問によって国民の気持ちが癒やされるといったことだが,考えようによっては最近のトランプによる深刻なアメリカの分断のようなものが我が国では,天皇制によって起こらないようになっているという。まことに,消極的な意味として作用しているのが天皇制だという。それではあまりにと,存在意義をあらためて問うと,歴史的に何時なくなっても良かった程度としか考えられないのに,万世一系などと信じがたいものが存続し続けているのは,ひとつには島国で,敵からの侵略にさらされない日本の本気度の薄さに加え,政権を担当するものたちが時々の既得権益で延命することだけを考え,いざとなったら天皇を担いで,錦の御旗を立てて責任を天皇に押しつけてきただけだったという,残念なことながら,これがまさに日本の空気であるとしか言えない気がしてくるのだ。

 私にとっての,天皇家とは何かという答えは見つかりませんでしたが,普段ほとんど考えたことがない法的な問題として天皇制に向き合う良い機会になりましたし,木村草太さん国際的な法学からでも民主主義の考え方が色々あるとか,大澤さんの「第三の審級」といった概念について理解を得られたりするので,一読の価値は大いにあり,お勧めします。

2021.02.09

個と普遍

毎週楽しみにしていた。「グッドファイト2」も終わってしまった。養老先生のねこ「まる」も亡くなってしまった。家の「マルチ」のことを思い出す。ダイアン(ロックハート)(グッドファイトの登場人物)でさえ,「私のまわりの,ほんの世界の片隅だけも正常でいられるようにしたい。」と言っているように,森元首相の女性蔑視発言問題にみるまでもなく,世の中まともではなくなっている。先週,バイクで転倒して肋骨骨折するという厄災にあった。はじめて救急車で搬送された病院の対応でコロナを実感したし,壊れたバイクのことに対応したもらった警察官の態度のひどさにも,なにかが狂ってきたと思わざるを得なかった。道徳ではなく,高校で教わる「倫理社会」の内容を理解できない(自分のものにできない)ような教養のない人たち,「個と普遍」とか意味が分からないような人たちが,国のトップだったり,会社組織などを取り仕切っているのだと思う。ソクラテスから福沢諭吉(渋沢栄一でも)までちゃんと勉強してくれ,というか今後,子供たちにもそれを徹底していかないと,ディストピアは免れられませんね。

2020.12.16

海外ドラマ「グッドファイト」

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配役の半分以上が女性,半分は有色人種,タイトルでプーチンやトランプの映っているテレビ画面が爆発する。オバマ支持の弁護士事務所の面々が丁々発止の法廷での活躍が見物もの。今のNHKには目の上のたんこぶなのか,番宣はあまりしていない感じがするが,20年前のリベラルというか,昔の朝日新聞をよんでいるような感じのスタンスが生きていることを確認できるし,テンポが良いし,見た目か弱かったり(マリア)おばさんなのにカッコイイ(ダイアン)目が大きかったり(ルッカ)見た目ではない有能さ(マリッサ)などが活躍するのが楽しい。隠れファンが多いと思うけど,どうなんだろう。少年虎次郎特別編も良かったけれど,こういった楽しみなドラマがいくつかあれば,ほんとにつまらないテレビの有用性もまだ失われることはないと思う。

2020.10.11

養老孟司対談集「AIの壁~人間の知性を問い直す」PHP新書

将棋の羽生さんや「東ロボ君」の新井さんと,AIについて養老さんが語った内容なので,見ておきたかった。人工知能がどこまで人間に近づくかは,そもそも人間の脳のしくみが解明されていないのだから,あくまでAIは「道具」として使うに限るというのが養老さんの見解で,研究者や起業家はそれでも人間に成り代わるものを想定している,という感じだ。たとえば,AIが危ない答えを出しそうだったら,電源を引っこ抜けば良い,と養老さんは言うが,開発者はAIが自分で電源を入れたり切ったりの判断もさせるつもりでいる感じ。そんなものに,自分の人生を任せてしまうような人たちが大多数になる世の中が,幸福だとは決して思えない。とっくの昔から養老さんの言っている「脳化社会」は,まさにそれである。特に,最後の新井さんとの対談で,インターネット上のSNSは,自己愛や承認欲求を解き放ってしまったので,ポピュリズムが跋扈し取り返しがつかなくなりそうだ,というのが今まさにその瀬戸際だと思った。管政権の日本学術会議任委員解任問題への見解が政府機関だからとか税金投入しているからとかに大衆を騙そうとしているのがまさにそれで,新井さんは,こう言ったインチキ論理が横行し始めたのは小泉首相が「自衛隊は戦闘地域には派遣しない。なので,自衛隊が駐屯する地域で戦闘があっても,それは非戦闘だ。」と大っぴらに主張して以来だと言っている。この文言が論理学的に破綻しているのは自明だが,大衆には分からないと踏んでいるのだという。もうなにをか言わんやであるが,最近小田嶋隆さんが日経BPで管総理を「ダサい」として圧倒的にダサいと表現することで逆に大衆の心理をつかもうとしている。正解だと思う。

人工知能に対する,人間の知能を「自然知能」といい,さらに世界(自然界)には「天然知能」があるという(郡司ぺギオ幸夫氏の本=注文した)ことも知った。人間はもっと天然知能に近づくべきだろうと思います。

2020.09.19

国勢調査とIT後進国日本

国勢調査の用紙封筒が,ポストに入っていた。封を切ると,インターネットで回答できるというので早速済ませた。5年一度のこの調査が大切な資料になることは分かるが,今やこの程度の個人情報は,スマホや様々なカード類を使っていれば,GoogleやAmazonの情報から引き出せそうである。我が国はITが遅れているのは明らかで,政府の要人がバカだがらしかたがない。

プログラミングを少しやってみて,いろいろなソフトが上手につくられているのを見ると,人間がつくった大抵のシステムはコンピューターに代替が可能だというしかない。今回の国勢調査の封筒の中身で必要なのは,自分にあてがわれたIDとパスワードだけで,画面での入力は,ちょっとGoogleFormができる人なら,つくれるレベルだ。鉛筆のマークシートもいらないし,ほとんど説明も読まなかった。昔は,紙に書いて回収してもらって,誰かが集計していたものは,すべて電子化されている訳で,今や当たり前の話だが,5年に一度くらいの事柄なので,その隔世の感が呼び起こされたわけだ。

中高の教員をやっていて,子供たちの紙離れやスマホ漬けが心配になる。人間社会の様々なシステムには結構複雑な手続きが含まれている。我々の世代は,その手続き(アルゴリズム)の具体的な中身を知っているが,はじめからスマホで済ましている子供たちは,世の中をどう受け止めていくのだろうか。

つい最近,望遠鏡で天体写真を撮る機材をWi-Fi接続でラズパイにつなげてタブレットで操作できるようにした。中高生の頃に,手動ガイドというのがあって,望遠鏡で動いていく星を目で視野の中心にするように,自分の手で赤道儀を操作していたのだ。今はそれをカメラで制御し,天体撮影のカメラと望遠鏡のコントロールまで自動化されている。たぶん,若い人は,このような作業に興味を示さないのではないか,というのが私の考察である。いったい,何が面白いの?と思うのではないか。こうやって,ああやるとこういう結果が出せる,という手続きが面白いのである。それが分からないと,たぶんつまらないだろう。それで良いのだろうか。

望遠鏡のWi-Fiシステムのギア(製品)が今やすべて中国主導になっていることが,一時先進国だった日本の末路とともに,ここに現われている気がしている。

2020.08.19

眼下の敵(太陽の子)

戦争映画の名作中の名作といって良い映画。ドイツのUボートとアメリカの駆逐艦の対決を描くロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンス主演の映画と言えば,知っている人も多いはず。私の父母は劇場公開で見ているらしかった。テレビ放映で何度か見ていて,何十年かぶりにBSシネマで録画していた(録画したことを忘れていたりする)のを見た。いろんなシーンをよく覚えているものだと思った。8月15日前後は何かと戦争を振り返るような番組が多いが,なんだかもうこのコロナ禍による世相が戦時中に似ていると言われて,愚な日本軍(現政権)の思惑どおりの状況を改めて確認するだけのようで,あほらしくて見ていられない。それに引き替え1957年制作(私の生れた年だ)のこの映画のすがすがしさに感動したのだ。総天然色の色合いといい,爆雷というもののすさまじさやUボートの完成度の高さだけでなく,前半に語られる両艦長の生い立ちや人生観,オレたちは仕事を適切にやる気はあるけど,こんなくだらない戦争なんかくそ食らえだ。というコンセプトが,当時のアメリカの勢いというもので,その後の日本もそうして成長し,いまや中国や台湾がそんな時期になっているのかなーと思いました。亡くなった三浦春馬さんの出ているドラマ「太陽の子」も録画してあるのだけれど,その反省が生かされずにいる時代になっている気がして,見られずにいるのでした。

2020.07.26

身体はよく知っている。小堀鴎一郎,養老孟司対談「死を受け入れること」祥伝社

また,養老先生の対談本を読んだ。小堀先生は養老さんと同い年で,40年間外科医として多くの手術を手がけ,現在は終末医療に携わる方。死をよく知る2人の意見は,大体同じで,ひとりひとり人生があってその最後もすべてひとくくりにしたりするべきではない,という話だ。昨日だかALSの人に依頼されたかで,尊厳死させたと医者が殺人容疑で逮捕されたりしているが,そういった問題にも関わる(安楽死を肯定などしていないが,本人と家族の意思は尊重されるべきだという)話をされている。

 面白かったところを書くと,ひとつ前の山極さんでも出てきた,例の手話ができてネコを飼っていたゴリラは,死についても理解していて,「死とは苦痛のない世界だ」と話していたと言われているそうである。動物にも意識はあるし,自分の死期をを悟ったり,森の中の木なども互いにコミュニケーションがあるに違いないとか。ゾウムシでさえ死ぬことを知っていると書いてある。もちろんそれらを人の脳のように客観化している訳ではないが,我々も同じようなしくみで生きているはずで,養老さん曰く本当に死にそうになったら,身体からサインが出るのでそのときに医者にかかればよい,という話だ。検査や投薬の効果など,統計的なもので,ひとりひとりケースバイケースであるはずで,むやみに癌を心配したり,延命治療のガイドラインとか,余命告知とかいう脳化社会が人を幸福にしない,といういつも通りの結論ですが,養老さんが臨床医になっていたら何人殺したか分からない,というのに対して,実際に助けた人もあれば,死んでしまったケースも多い外科医の小堀さんのお話も重いもので,いろいろと参考になる本でした。

«虫とゴリラ(養老孟司,山極寿一対談)と脳の退化

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