2017.06.22

オープンストリートマップ(OpenStreetMap)

 まだ,知っている人は少ないと思いますが,オープンストリートマップという地図がネット上にあります。イギリスではじめられたプロジェクトで,いわば,地図のウィキペディア,地図を一般の人がつくる,著作権フリーのオープンソースです。
 そんなものは,当てにならないと思うかも知れませんが,自由なので,まだ何も描かれていない場所もあれば,グーグルマップより精密で役に立つ情報が得られる場所もあります。なにしろ,自分が書き込みたいというこだわりがあるので,地域ごとに作り上げれば,災害時にきわめて有効な情報提供を果たすと考えられています。

 この地図づくりを知って,東京で勉強会を主催しているグループに4月から参加しています。パソコンを持ち込んで都内の公園(浜離宮とか)を取材して,入力方法を教わったりしました。今まで,新宿御苑や六義園くらいしか行ったことがなかったのですが,東京の公園は浜離宮にしろ,昔の大名屋敷か皇室からの恩賜庭園なので結構整備が行き届いて見所がある(穴場だ)と思いました。神社仏閣も良いけれど公園巡りも楽しいですね。
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 6月のマッピングパーティーで行った,旧芝離宮恩賜庭園。ここらへんに地図で浜離宮というのがあるので,ここが浜離宮だと思い込んでいた。駅も浜松町だし。知ってましたか。

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2017.06.17

アクティブラーニングについて

 ICTとかAIとか,えーとALだ。アクティブラーニングだという。これも文科省の諮問機関,中央教育審議会やらが,教える内容(漢字(郷土愛)をもっと増やす,英語を低学年から,道徳の教科化など)に介入していながら,いかにも新しい風を装って出してきたアドバルーンにすぎないんですよ。みなさん。
 
 加計学園の問題以前から,文科省がいかにホニャララであるか,なんだか黙っていられなくなった。教員をやってきて思う。私は,私の受けた教育から,に基づいて,教育活動をしている。つまり,やるのは私であって,文科省ではない。対象である生徒に接しているのは私であって,文科省ではない。長年の経験をもとに,毎日考えながら,良かろうと思ってやろうとすることに,そのたんびにごちゃごちゃ言われても困る。もちろん,大枠を逸脱しては剣呑だろうから,指示は大枠だけにとどめて,あとは現場にまかせるってのが,良い仕事をする前提に決まっている。いま,そこんところが世の中おかしくなっている。介入のみならず,忖度できないと,どっかに飛ばされる,名誉を毀損される,文句を言うと,問題ないと閣議決定を行う。

 公立学校なんかだと,でなくても(?若い人は逸脱をきらう),ほんとに上意下達があたりまえになり,自由な雰囲気はほとんどない。だから,自分対生徒の世界でのさばるヤンキー先生(副大臣)が受ける。

 私の尊敬する大学時代の恩師は,「教師って楽だよね。毎年同じことやってても,学生は毎年かわるから。」と言っていた。しかし,本気で毎年変わらず同じことをやっている先生など存在するだろうか。まともな先生なら,その先生自身が,つねに勉強して成長しているはずである。つまり,先生が変化しているのである。この先生はいまだに現役(もう退官したが)で,今も新しいことを教えてくれる。先生なりの逆説を言ったのだと思う。

 アクティブラーニングなんて,言われなくても昔から考えてやろうとしているし,やっている。上手くできているか,って?。ほら,これがマニュアルだよ,って?。そんな簡単じゃないんですよ,教育って。

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  昨日やった,地質図の露頭線を描く実習

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2017.06.12

SWITCHインタビュー 古坂大魔王vs.田原総一朗あるいは反知性主義(森本あんり)

 ピコ太郎というのは,嫌いなのだが気になる。そのプロデュースをした(本人)の対談番組というので録画して見た。なにが嫌い(違和感)といって,あの風体は典型的な「ヤンキー」というもののはずだからだ。私のような世代からは,不良の呼称というのは,つっぱり,暴走族やスケバン,しかない。いつからヤンキーが不良をさす言葉になったのか,べつに知りたいと思わないが,不良つまり反社会的行動の質が反体制的ではない,体制べったりの不良。かといって右翼でもないし,思想的反骨が感じられない。斉藤環という人がマイルドヤンキー(化)という語を使っているけど,それがヤンキーの雰囲気を良く表していると私は思う。私の中には,暴走族にも一分の理,みたいなものがある。私が通っていた都立高校には,当時クラスに1か2人暴走族に入っているヤツ(友達)がいたし,学生運動の余韻というか反体制(左翼的教員もいた)的な空気が70年代というものだった。
 要するに,自分の欲目でしかないが,われわれの若い頃は時代的雰囲気が今より知的だった,と言いたいのである。
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 ICU(国際キリスト教大学)の副学長という森本あんり氏の「反知性主義」(新潮選書)はもう一昨年出た本だが,ピコ太郎とつなげて取り上げておく。ただ,ここで,現在,日本に反知性主義が蔓延していると言うつもりはない。この本によれば,反知性主義とは,アメリカという国の歴史に根ざした現象をさすものであって,決して反知的なムーブメントをさすわけではない。まあ共和党的なもの,キリスト教福音主義原理主義的なものではあるが,言葉として日本に当てはめるのは誤解のもとと言っておいたほうがいい。ただ,副題にもあるように,「熱病」のようにトランプ政権を誕生させたものの正体と考えて良く,日本にも,似た状況が生じているとも思う。イギリスやフランスがちょっと違うのは,簡単に言えば,歴史の古さと言える。とにかく,とてもためになったた本である。
 
 ピコ太郎こと古坂大魔王さんは,もともとお笑い芸人だったそうで,ネプチューンやクリームシチューなどと同年代で,ずっと売れなかったという。音楽(を取り入れたダンス)にこだわりがあることが,災いしたらしく,それでも,あの立川談志が高く評価していたというから,やっとブレイクしたということのようだ。本人曰く,お笑いが,風刺や体制批判をすることはもうできない(その反動で事務所やスタッフに迷惑がかかるから),バカをやって喧嘩や争いごとを少しでもなくせる(平和に貢献できる),くらいではないか,という。なんだか,聞いていて哀れになってきてしまった。行き詰まった末に,テレビでなく,50秒間の動画をネット配信(全部自腹だそうで)するという方法を考えついたのだという。テレビ(とともに活躍できた)しかない田原総一朗とは対照的に,メディアの持つ力をよく考えていると思った。

 なんだかんだ言って,結局教育だったのかと思う。東京教育大を筑波大に解体し,日教組をつぶし,教員採用試験や共通一次試験,一斉学力テストなどで,公立学校をしばり,イエスマンを大量につくることをジャブのように続けて今日に至ったのかなーと思う。あまり説得力がないが,模索をつづけます。


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2017.06.10

養老せんせいとまる(猫)あるいは,続サピエンス全史

 長年理科を教えてきて,ずーっと,科学は人類の叡智だとか,科学的なものの考え方が大切だとか言ってきたような気がする。しかし,この頃歳をとってきて,科学というのも結局ただの信仰にすぎないと思うようになった。
 養老先生が言うように,生物の細胞の中身が,生化学的反応で成り立っているだろうという,漠然とした理解など,まさにそう(信仰)でしかない。1個1個の細胞ごとに,あるいは組織ごとにホルモンやらのはたらきで(それ以外にも恒常性を保つしくみがありそう),何百種類ものタンパク質(酵素)をそれぞれ的確につくったり,動作させたりするしくみなど,おそらく解明できるはずがない。脳科学で,いまだに意識や精神が神経回路としてどうやって生じているか分からないなど,脳が脳のことを考えているだけで,脳に備え付けの思考パターンでは理解できないのだろうと思う。言い方を変えると,脳は科学を発明はしたが,脳の認知能力にはおのずと限界があるということである。私たちの脳は,進化の過程で,ヒト同士のコミュニケーションを円滑にするために(これで人類は大発展をとげた)適応したものだたと思われる。

 つまり「唯脳論」なわけだが,「サピエンス全史」のノア・ハラリ氏も同じことを言っている。ハラリ氏はフィクション(神話,虚構)を信じる力,という認知革命からわれわれの歴史を物語る。養老先生は言語のもつ「同じ」化の能力をあげる。リンゴ,という言葉に,まったく実体としてのリンゴの性質がなくても「リンゴ」で意味疎通が可能というのは,言われてみれば,変な能力である。養老先生の前の飼い猫は,とらやのようかんとそれ以外のようかんを食べる前に識別する能力があるという。わざわざ,世界に1つだけの花などと歌わなくても,「ちがい」が分かるのが野生で,それを忘れ,オフィスで人間関係に煩わされ,疲れている人だらけですよ,というのだ。

 地学で天文を,教えるときには特にガリレオの地動説が科学的思考の原点だ,みたいにいままで考えていた。だが,ハラリ氏の本で,科学のはじまりは,コロンブスの新大陸発見(コロンブスはインドだと思っていた)によって,人類の無知さ加減が実証的に分かったのがきっかけだという見方に大いに納得している。ガリレオなど,ほとんどオレの方を信じよ,といっているようで,地動説の実証(年周視差やフーコーの振り子)にはその後200年以上かかっているわけだから。
 実証というのも,科学は実証によって成り立っていると漠然と考えているが,それによって明らかになったことは,人間の感覚とかけ離れているものが実はほとんどではないだろうか。コペルニクスしかり,アインシュタインしかりである。今のところ科学の基礎となる数理や物理にどれほど普遍性があるのか,実はわからない。宇宙の他の知性はまったく別の解釈をしている可能性もある。なぜなら,重力と加速度,時間と距離なども,もとは人間の感覚からはじまった概念だと思えるからだ。しかも,現代の科学の内容をすべて理解できる人がどれくらいいるかといえば,専門家がそれぞれにいて,なんとか破綻せずに築かれているものの,一般には,ラジオのしくみさえ知らない人がほとんどである。つまり,これが科学は信仰とかわらないゆえんである。
 もちろん,信頼性や,役に立つという点で,宗教道徳やお祓いにくらべて人類は進歩したと言えるのかもしれない。しかし,同時に放射能汚染とか,人工知能とか,われわれ自身を脅かすものも作り出しているのである。ハラリ氏の本の特徴は,人(ヒト)の幸福とは何か,を基準にしていることである。農耕で,人類は爆発的な人口増加を図ったが,果たしてそれが幸せだったか。このような問を立てたことは今までにあっただろうか。一例をあげると,昔に比べてヒトの平均寿命が飛躍的に伸びたのは幸福だというかも知れない。ただし,それは乳幼児死亡率が高かったからで,成人した人の長寿者(80,90まで生きる人)はむかしから変わらないという。2012年に世界で戦争や紛争によって命を落とした人は62万人であるのに対して,糖尿病で命を落とした人は150万人だそうである。今や兵器より砂糖の方が危険というのだ(最近のインタビュー記事より)。
 
 NHKの番組で養老先生とご自宅の飼い猫「まる」が紹介されていた(猫も杓子も~ネコメンタリー3月26日放送)。いつも,理屈をこね回しているのに疲れた,と評した方が良いのかも知れないが,猫を見て,うらやましがる。番組の最後のころ先生が,つぶやく。「これでいいんですよ。生きてくの。どっちみちたいしてかわんねぇんだから」が秀逸だった。生きているということは,違いの連続であり,みんなと同じをありがたがっているご,むしろそれで疲れ切っているのではないか。ハラリしも瞑想を日課にしているそうだが,自然と渾然となる体験を重ねれば,新鮮な日々を送れるのではないだろうか。

 すでに多くの人はマスコミやテレビニュースが,真実を報道しているとは思っていないだろう。小学生だってうすうす気づいている。政治家は強引に自分が正しいと言い張っているにすぎない。そんな主張につきあうのもばかばかしい。だが,この道はいつか来た道で,そのうちみんなで協力して(一致団結して)戦争をはじめるに違いない。そうならないためには,と私はハラリ氏や養老先生をこれからも称揚していくつもりだ。

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   新橋駅近くの電通ビル(この鋭角は‥‥ちょっと不気味ではと思った)

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2017.05.29

星見会

 先週末,今年結成45周年になる天文同好会の星見会で例のごとくなのだが,川崎市の八ヶ岳少年自然の家に皆で集まった。参加者数が,20人を超したのはたぶんめずらしいと思う。ここにはアストロハウスという天体観察のための施設があって,これを企画実現したWMさんも,同好会のメンバー(名誉会員的所属)である。
 
 会の活動の主体は,この星見会(と夏合宿)で,厳冬期と梅雨どきをのぞいて年4回くらいであるが,なんとも趣味を共有しているとメンバーと時々顔を合わせるのは楽しいものだ(沖縄から参加する人もいる)。星見会なので,当然晴れることを願う(曇ったり雨では意味がない)のだが,計画通りにみな集まるのも(空振りでも)それはそれで話だけでも盛り上がれたりするのである。

 去年は,エルニーニョの影響で,晴れが1/4だった。今年第一回の今回は,たぶんダメだろう(五月晴れの確率から)と思っていたら,晴れの予想。ただ,スパコンの予想(GPV)が少しずつずれて,夜半すぎに晴れてくる予報になって,途中寝て待つような状況だった。でも1時過ぎに晴れてきて,満を持して器材をセットしかろうじて夏の代表的なはくちょう座の網状星雲の撮影にはじめて成功した。この時期,3時半には薄明がはじまるので,4時には宿にもどりよく寝て,すがすがしい気持ちで帰宅できた。今後のロケハンに信濃境あたりをうろついて,富士見をした写真もご覧ください。

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     はくちょう座網状星雲(NGC6960)360mmF4.8,ISO1600, 6分露出4枚


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   井戸尻考古遺跡から,富士山を望む。フォトショップで富士山を加工。

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2017.05.02

夏の夜空

 5月になれば,夜半過ぎに夏の天の川が昇ってくる。気が早いかも知れないが,冬の銀河(天の川)を見おさめると春の夜空は,星がまばらで見栄えがしない。春や秋の夜空は宇宙をのぞく窓でもあるのだが,天体鑑賞という点では正直見劣りがするのである。
 この連休は,めずらしく天気が良い。月の無い4月中に遠征してきた成果である。
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 地平線から昇る夏の星座は,さそり座やいて座の順だが,北の方はこと座やはくちょう座のデネブの方が先に現れて,天の川は右肩上がりに伸びている。というのを改めて知ったような気がする。

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昨年の夏に,はじめてオートガイドに成功したM8とM20に再挑戦。Fujiのカメラで色がきれいに出た。

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2017.03.21

福井県立恐竜博物館

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 2000年に開館した県立の恐竜博物館。日本で恐竜の化石が大量に発見されているのは福井金沢にまたがる手取層群というジュラ紀白亜紀の地層で,この勝山市でもワニの化石などが発見されてるそうだ。このためだけに福井にも行く人もたくさんいると思う。歴史的には平安期から栄えた平泉寺という寺院史跡にも立ち寄った。ここもお薦めで,さらに福井平野には古墳もおおくこの地域が古代から豊かであったことに気づかされた。

 行ってみるまでは分からないもので福井市内から,車で30分以上かかる郊外にあり,敷地の規模やモダンな建物からいって日本一を誇れるものだ。このブログにアップしていないけれど,行ったことがある中国の自貢恐竜博物館や世界恐竜谷(雲南省)に引けをとらない。ただ,日本で発見される恐竜そのもののスペースはそれほど大きくはない(下写真参照)。

 地質(地層)と化石は,地球の歴史を物語るものであるので,多くの自然史博物館にその種の同じような展示を見るけれど(国立科学博物館,生命と地球の星博物館など),ここのがシンプルかつ代表的で見応えのある化石から構成されているという印象をもった。考えてみれば,生物進化と環境の変遷を化石を使って一度に説明するのはどだい無理なのかも知れない。お土産に,越前和紙製の恐竜骨格組立パズルと,恐竜シルエットのお弁当のりを買った。

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      福井で発掘されている全身骨格恐竜化石

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      2階に昇るスロープから,骨格標本は残念ながらレプリカが多い

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      入り口からいきなりエスカレーターで地下に潜る趣向でおおっと思わせる

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2017.03.18

永平寺に泊まる

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      永平寺の法堂から

 富山は行ったことがあり,今回能登半島は行かなかったので,北陸とはいえず福井と金沢に行ってきた。福井県は,京都のとなりと言って良く,なので行きは東海道新幹線,金沢から帰りは北陸新幹線である。JRのとくとく切符(だっけ?)にレール&レンタ(だったか)があって,行き帰りJR,途中にレンタカーを入れて繋がるように手配すると割引になる。去年は長野から碓氷峠を越えて使った(JRバスもOK)。特急券が1割,乗車券が2割引となる。乗車券2割引というのは,学生時代の学割と同じだから結構お得感ありである。

 興味があったのは,永平寺と勝山の恐竜博物館と山中温泉(芭蕉奥の細道関係)で,一昨年高野山の宿坊にも泊まったので,せっかくなので(家は菩提寺が曹洞宗)永平寺に泊まって参禅体験をしてきた。二日目は山中温泉泊。

 座禅を組んだのはもちろん生まれて初めてで,永平寺と言えば,道元の開いた曹洞宗の只管打坐である。お泊まり体験の大まかなスケジュールを記しておくと,1日目15時入山,作法と座禅のやり方指導,座禅①,②,薬石(夕食),座禅③,座禅④,映画,入浴,消灯(21時),2日目3:40起床,座禅⑤,朝のお勤め(法要)見学,境内案内,小食(朝食),座禅⑥,座禅⑦,感想文記入,下山(9:50)である。1回の座禅はおおよそ30分。

 まさか,7回も座禅を組まされるとは思っていなかった。1回目は先ず足が組めず,あぐらでも良いというので,それでも普段ストレッチ不足というか足が痛かった,2回目はほとんど感覚なくなるまでしびれた。曹洞禅は面壁と行って壁に向かって,目を開けてする。それと坐蒲というまるい座布団で腰を支えて行う。3回目からはこの座蒲の位置を上手く変えて段々座禅に集中できるようになった。それでも,終わり頃には足が痛くて早く終われと思うばかりになってしまう感じだった。40分くらいやるのが普通らしいが,だいたい25分前後にしてくれていたようである。

 最近は,マインドフルネスとかいって瞑想がもてはやされているが,この道元の只管打坐の理屈(脳の日常的な活性状態をなくす術)が昔からあっとということは,ホントにすごいと思う。優れているというサピエンスの脳の働きが,精神的なストレスや苦悩のもとであることにお釈迦様が気づいたのだ。永平寺のお土産ショップ(なんか道元は怒っているだろうな)に座布が売っていたが,ネットで探して買おうと思っている。家でも座禅してみたくなりました。

 永平寺の食事は完全に精進料理で雲水の食べる量は1日1800キロカロリーぎりぎりなのだろう。修行に入ると10kgもやせる人がいるそうだ。脂っ気がないから,ニキビもなくみな顔がすべすべしていてきれいである。所作も洗練されているというか,あの朝の法要の読経のリズムやハーモニーと動きがすべて美しかった。これは忘れない。3月なので,寒さも耐えられたが,1月とか氷点下の時もあるかと思うとやはり感動する。それと,明るい照明というのは不要だと言うことだ。夜はほの暗くても充分。何しろやるのは座禅くらいだからだ。オフィースの暮らしがいかに不自然か体験的に知ることができた。山中温泉では,精進落としのようにカニすき鍋などで満腹になったが,やはり食事も永平寺に見習おうと思う。


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      東尋坊の日本海


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      兼六園

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      兼六園の梅

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2017.03.03

サピエンス全史(上下)

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 今も,多くの本屋で平積みにされている,全世界ベストセラーということで,分野で言えば「歴史」。正確には歴史評論というか文明論でもあるだろう。先月まで上野の国立科学博物館で「ラスコー展」が開かれていたので,サピエンスといえば,「人類学」のような気がするが,下巻をジュンク堂で探したら「歴史」のコーナーに置かれていることを確認した。実際著者のノア・ハラリという人はヘブライ大学で歴史(中世軍事史など)を教えているとカバーにも書いてある。
 
 上巻の初めの章を読んで,これは養老先生の「唯脳論」と同じことを言っていると思った。ただ,全編を通じて書かれているのは,その唯脳論によって起こった人類の歴史である。養老先生に先見性があるとはいえ,これだけの展開を示せるハラリ氏もすごい。唯脳論でも我々の脳が持つ抽象的思考の説明はあるが,これを端的に“幻想”,あるいは,言語や貨幣,社会,国家などすら脳が描く“虚構”の産物であると説く。すごいと思う。

 内容を順番に列挙すると,認知革命(これがサピエンスの脳),農業革命(神話,差別,文字),貨幣と統一,帝国,宗教,科学革命(無知の発見),資本主義,産業革命,未来の人類といった具合だ。かつてのトインビーや文明の生態史観(梅棹忠夫)といった感じだが,それらを越える論旨が感じられる。例えば,サピエンス(人類)が世界中に広がる間に,その場所の野生動物をどれくらい絶滅に追いやったか,農業による食糧生産が人を幸福にしたか,多神教と一神教の共通性,ヨーロッパの先進性の理由,戦争や厄災の犠牲などを定量化して示すなど,つねに現代の視点から比較して考えさせる独自の工夫が多くある。たとえば,「科学」という人類にとっての無知の発見が,コロンブスにあるという話も,ガリレオとかじゃない点で目から鱗である。そして,我々の業の深さとも言うべき,家畜の犠牲の話は誰もがショックを受けるだろう。最後の方の幸福論(我々は進歩したのか)は,しつこいくらいで,どうでも良いような気がしたが,これが著者のモチベーションかと思うと,信頼すべき文明批評と言うべきか。仏教の教えに造詣が深いこともなんだか著者なりの解答を示しているのかも知れない。とにかくとても参考になった良い本である。

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     国立科学博物館「ラスコー展」で

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2017.01.26

マルカリアンチェーン


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 1月の新月期,一昨日房総半島まで遠征して撮影した一枚。おとめ座銀河団の一部,通称マルカリアンチェーンとよばれる鎖のような銀河の集まりである。

 構図が失敗であるが,露出時間や枚数は今までで一番のできばえ(個人的に)で,まあご勘弁を。数千万光年先の宇宙の姿をこのようにアマチュアが写真に撮れるというのは感動的だと思う。M87はウルトラマンの故郷(M78は台本の誤植だった)で,巨大な楕円銀河。中心にブラックホールがあり,電波源でとしても有名。メシエ天体の密度ではたぶん一番の場所であると思う。

 

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2017.01.19

骸骨考(養老孟司)のウソ学入門

 身体巡礼(ドイツ,オーストリア,チェコ)につづく養老先生のお墓訪問記の第2弾(イタリア,ポルトガル,フランス編)である。養老先生の出版物は古いものが多い中で,最近の連載をまとめたもので読むことができるシリーズである。西洋のお墓は,亡骸や骨で装飾されているって,知っている人は少ない。養老先生のまさに真骨頂本ですね。
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 面白かったのが,中ほど(三章)にある「ウソ学入門」。忠臣蔵の浅野内匠頭が菓子折を吉良上野介に送る。吉良は,菓子折の底を調べて二重底(小判入り)でないことを確かめて,浅野内匠頭の愚か者めが,と怒る。という場面について。一体これは,誰をどうだますつもりなのか。賄賂をごまかすにしても,見え見えで,形式とか記号にそうとうする例だという。で,そんなことも知らんのか,という世間知らずを強調するわけである。確かにその通りで,だますというのもいろいろ考えると奥が深い。ウソは,単にごまかす,だます,ためのものではないという話である。そのほか,本人がウソと思っていないSTAP細胞の場合とか,オレオレ詐欺は日本特有だとか(納得)。

 続けて,イエズス会(日本のキリスト教の元祖)の教会の天井絵がだまし絵になっていることにふれ,宗教や文化の役割を考える。日本の場合は,素直すぎてあまり言葉尻を気にしたりしないが,西洋では,ウソとは言えないでしょう,みたいなウソ(論理)を発明する必要がでるという。

 ウソではないけれど,従軍慰安婦の銅像にもふれていて,銅像はできるだけ作らない方が良いという。銅像というのは,作ってしまったが最後,容易に撤去できないものだというのが理由だが,確かに人の心が変わったとき,やっかいになるに違いない。こうやって,いろんな知識を総動員しても物事は単純ではないんだな-とか,ヨーロッパの歴史をもっと知りたいな-と,思わせてくれて,いつもながら有り難い一冊でした。


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2017.01.14

漱石のこと3

 NHKカルチャーラジオは,文学,歴史,科学など別になっていて,科学ではすでに山崎さん(先輩)も出演しているので,その後も地球科学の丸山茂徳さん,系外惑星の井田茂氏などが続いていた。で,ラジオだが今はインターネットでストリーミング配信されていることを知って,スマホで通勤電車の中などでまとめて聞くことができる。これは便利である。去年の暮れの文学分野で,「鴨長明の方丈記」も大変ためになった。

 さて,漱石と科学であるが,先ず坊っちゃんは,数学教師に設定されている。しかも,自分の嗜好を述べる台詞の中に「語学とか文学は真っ平御免」とある。当時文学で名をたてていた漱石のユーモアともとれるが,嫌な赤シャツを,きどった文学士にあてて,それは自分がモデルだと述懐したそうである。じつはこちらの方がユーモアであり,我が輩は猫であるの寒月,三四郎の野々宮さんなど,教え子で門下生の寺田寅彦をモデルにすると同時に,彼から得た当時の最先端の科学の知識が随所に出てくるし,科学に造詣が深くなければ書けない内容を盛り込んでいるのが漱石文学の特徴である。というわけだ。

 さらに,漱石の「文学論」そのものもが,英国留学中にであった池田菊苗(味の素の発明者)に触発された科学的な方法論に(あこがれて)よって書かれているのである。池田に会った後に,妻鏡子にあてた手紙の一説が有名で,「近頃は文学書は嫌になり候,科学上の書物を読み居候」とあり,文学論の中で,無理矢理「F+f」という数式で文学を要約しようと試みている。漱石は,とにかくあてにならないものが嫌いで,科学のようにすっきりとした説明が理想だったようなのである。言われてみると,我が輩の猫は何でも知っていて,ニュートンの力学の3法則を講釈したりしていたこと,人間の観察眼がまるで客観的,科学的(生物学的特徴からの分析というか)であるなど,読んだときにシンパシーを抱いていたことをおもいだした。そして,政治的な風刺なども鋭い,ということに改めて気づかされたところなのです。

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2017.01.12

漱石のこと2

 漱石のファンになったのは,高校の現国で「こころ」を読んだだけでなく,大学受験で浪人していたとき,ほとんど小説から小品まで読んだからだ。ちょうど岩波から何回目かの漱石全集が刊行中(1970年代中頃)で,父親が注文したため,家に次々に配本が届いていた(すでにほとんどそろっていた)。受験勉強するのがいやで,勉強よりこっちの方が人生のためになる,などと代償行為的に読んだのだった。

 我が輩は猫である,坊っちゃん,三四郎,あたりなら良いが,それから,門,行人などなんでこんなに暗い小説なのか,まったく受験生にとって悪影響しかないものにまで,ハマっていたのである。ただ,もっとも印象に残っているのは,漱石が朝日新聞社に入る直前に書かれた,二百十日や野分である。これくらい読んでいると,漱石の評論などを読んでも,よく分かるので,大学生の頃は江藤淳の「漱石とその時代」なども読んだ。最近でも,「漱石という生き方」や「草枕の那美と辛亥革命」なんていう本まで買って持っている。000069109442016_01_234_2
 没後,100年と言うことで,昨年NHK で作られた,ドラマ夏目漱石の妻もしっかり見た。シンゴジラの長谷川博己と尾野真千子(かくれファン)が演じていて,とても良かった。宮沢りえと豊川悦司のヤツは見なかったが。それから,NHKラジオのカルチャーラジオ「科学と人間」で,「漱石,近代科学と出会う」,は漱石が間違いなく理系に属する人間であることを示してくれる番組だった。これについては,次にしよう。
 
 生意気と思われるだろうが,知らない人が多いと思うので言っておくが,「野分」という小説,これはなんと社会主義を標榜しているのである。だから,その前に書かれた坊っちゃんが風刺小説だというのは実に鋭い指摘だと感心するのである。

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2017.01.10

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 昨年12月,夏目漱石没後100年だったようで,NHKのドラマもあったし,岩波の漱石全集も刊行されたり,岩波新書で,2冊の漱石本が出ていたので,2つとも買った。で,2冊目の赤木昭夫著「漱石のこころ」を読んでたまげた。
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 あの小説「坊っちゃん」は風刺小説で,登場人物は明治の元勲,山県有朋,宰相,西園寺公望や桂太郎をモデル(パロディー)にしているというのだ。

 だれもが,世のインチキ野郎をやっつけてくれる痛快なお話しだと思っているだけじゃない深読み,というか今までだれがこういう指摘をしただろう。漱石の「こころ」を没後100年を契機にもういちど正しく読み解くという重大なメッセージをこの本から,少なくとも私は受けとった。


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2017.01.04

冬のダイアモンド

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 冬の天の川は夏に比べると淡いけれども,画像処理で際立たせるとこのような具合になる。ベテルギウス,プロキオン,シリウスという大三角形に加え,カストル,カペラ,アルデバラン,リゲルという一等星を加えてできる六角形は冬のダイヤモンドと呼ばれている。明るい星を目立たせるために,ソフトフィルター(別名にじみフィルター)をつけて撮影している。肉眼でこのように見えるわけではないが,天体写真という作品として鑑賞するというというか。
 右上の隅に青く集まっている星がスバル,画面ほぼ中央に赤いシミのようなのが,バラ星雲。

 ソフトフィルターをかけずに撮ったのが,次の写真。色がむらになっているのは光害によるカブリを補正しようとしたが上手くいかなかったため。
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«いっかくじゅう座の星雲