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2005.12.30

漱石と自我

 などというテーマについて,ブログの一文で語りつくせるはずはないが,近代的自我ということについて養老さんの話をつづけたい。
 漱石といば「坊ちゃん」「猫」「こころ」「三四郎」「草枕」「それから」といった国民的な作家にふさわしい,人口に膾炙した作品がすぐにあげられる。今はどうか知らないが,「こころ」と「舞姫」は二大文豪の作品として,高校の国語の教科書になくてはならないものだろう。誰でもこれらの作品を読んで,単に面白かった,というだけでなく,人の心の醜さや罪深さに向きあったり,恋愛における普遍的な焦燥を覚えたりして,読み応えというか印象を深く持つのではないだろうか。私も授業で「こころ」にインパクトを受けた口で,そのあと漱石を片っ端から読んだ。文学というものが何なのかは分からなくても,文体とか漢文の知識とかに興味がわいた。ただし,話はいつもぐずぐずしていて,世間というものへの嫌悪や,自分に関わる人の言動への懐疑に満ちたものなのである。が,そういう人間の観察眼や描写にかなりシンパシーを感じて,引き込まれていった。こういった創作に漱石を向かわせた,漱石の抱いていた問題意識というか「悩み」が,高校生ぐらいの私には普遍的なものに思えたのである。
 たとえば,「坊っちゃん」のバカ正直や誠実が,世間からは嘲笑の対象であり,無価値とされる場面で,一方で坊ちゃんに同情しつつ,もう一方で,取り巻き連中とおなじようにあざける気持ちを合わせ持って,笑ってしまうようなところがある。「三四郎」「それから」「門」「彼岸過ぎまで」「行人」などの順に読んでいくと,結局,本来のあるべき自分と世間との折り合いがつけられない主人公がいつも出てきて,漱石はこの問題をくり返しくそまじめに掘り下げていくのである。なぜか。漱石は日本政府から英国留学を命ぜられ,わが国で最初に,近代的自我というものを自分で確立しなければならない立場に置かれてしまったからである(つづく)。

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