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2006.01.07

言葉と脳

 デカルトの有名な哲学的命題「我想う故に我有り」というのはとても分かりやすい。世界は本当にあるのか?もしかして夢を見ているのかもしれない。感覚も,人の言うことも全部疑おうとすれば疑える。でも,こうやって考えている自分というのは(考えている主体はあるのだから)消しようがない。故に私は存在する。
 養老さんは言う。そう言ってるアンタの脳みそを表面からスプーンでちょっとずつ,すくいとってみな。科学では実証といって,やってみなければ分からないことになっているが,やってみれば恐らく,その考えとやらも消えるでしょう。でも,中枢が壊れない程度の脳の損傷なら,身体は生きていますよ。
 これが「唯脳論」である。世界は脳の中にある。もちろん外にもあるが,それを知覚するのは感覚器官と脳である。脳が変われば世界も変わる。感覚器官が違っても変わる。カエルの目には,動いているものしか見えない,と教わったとき,ヒトに見えない世界がありうることに気づいた。それでは,脳の違いとは何か。一人一人脳が全く違っていたら,これはもう話にならない。だから,みんな同じ?しかし,カエルの例と同じように考えられることがある。日本語である。
 「重」を何と読むか。音は「じゅう」だが,送りがなに「い」をつければ,「おも」,「ねる」なら「かさ」,貴重,十重二十重はどうか。一個の文字を5通りに読ませられる我々は一体何ものか。アメリカ人と日本人では明らかに脳の使い方(コンピューターのメモリーの割り当てみたいなものが)違っているはずである。アルファベット26文字がカナ50音にしても,漢字は約15000あると言われている。脳卒中などの脳の損傷で言葉が話せなくなる失語症に対して,字が読めなくなる失読症というのがあるそうだが,日本人の失読症には,漢字だけが読めなくなる場合と,カナが読めなくなる場合があるという。脳の違いと言ったが,脳の使い方の違いが,考え方の違いになっていても不思議はない。
 このように脳の機能をベースにヒトの問題を考えていくことは,脳の研究が進むとともに(いまでは磁気共鳴画像装置MRIのようなもので脳のはたらいている場所が見える)盛んになっている。養老さん話はその魁みたいなものだと思う。なかでも,そもそも言語とは何かという話を説明したい。
 いうまでもなく,言葉を使うのは生物であるヒトの最大の特徴である。言葉には,話すときの音声言語と読み書きの文字言語があるが,当然,両方とも,話し,聞き,読み,書きするときに意味,規則(文法)が共通である。それは,あたりまえだろうが,と思うかもしれない。しかし,日本人ならよく知っているように,「魚」という字は,もとになったお魚マーク(()のしたに△がくっついたの)のような甲骨文字からきた,いわば象形文字である。これは,視覚から「さかな」を示すことになったものである。ところが,フランス語の「さかな」はPoisson(ポアソン)で,これはおそらく「パッシャン」すなわち魚が水面ではねたときの音から来ていると思われる。では聞くが「さかな」という単語に「魚」というものの何らかの特徴が示されているか。ないであろう。これを,言語の恣意性(特に意味をもたないこと)というのだそうである。ヒトの大脳新皮質(ヒトで最も進化している脳)の大きなはたらきの1つは,視覚と聴覚の統合によって,言語を生み出したことであるという。視覚的な表現である「絵画」と聴覚表現である「音楽」を2つの楕円で表したとき,この2つが交わるところに「言語」と書いてみると,分かりやすい。何の意味もない3文字「リ・ン・ゴ」といえば,誰もがあの赤い丸い中がうす黄色で食べると酸っぱいが甘い果物,を思い浮かべられるというのが,言語のもつはたらきだが,それが我々の脳で,可能になっているということを,考えてみるのも無駄ではない。

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