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2006.03.12

マインド・タイム1

 科学的な,とか科学による,という意味は実証的であるということである。「それ本当かよ」「ウソだと思うなら,○×してみりゃいいだろ」である。これに対し,「私は◇△だと思う,感じた,信じる」というのは科学ではない。なぜなら,その人がそう思って(感じて,信じて)いることに,「それは違う」といってもその人がそう思っていること自体はどうしようもないからである。人の思わくに関わらす,誰が見てもその通りでなければ(アインシュタインの理論を誰もがその通りとは理解できないのだが多くの物理学者の間では現在,正しいことになっている),科学的な言明にはならない。アメリカでは未だに地球は球体ではなく平らであると主張する団体があるという。科学というのは万能の百科事典のようなものではなく,ただの方法なのである。
カール・ポパーという哲学者が,科学的な言明の基準を「反証可能性」のあるものとした。つまり,それを否定できる実験や仮説を持ち出せないような言明は科学ではない,と言うことである。はじめから否定しうるような言明というと,あやふやな気がするが,いろいろ考えてみるとこれはかなり正しい物言いである。ジャッジが複数ある相撲みたいだが,懐が深いというべきか。地球が平らだと主張することは,それはそれで科学的な態度であるとも言える。どれくらいの人がこの主張に反駁できるだろうか。
 当然であるが,科学者はこのように予想される反証の可能性を1つ1つ吟味しながら研究を進め,実験や調査を行う。これは,地味で孤独で実にめんどくさい作業である。だから,実は普通の誰でもが簡単に理解できるようなものにはならない。難しい話になる。科学的というと,話がすっきりしていて,正解だけがあるように思うのは間違っている。必ず,それならこういう場合にもそれは成り立つんですか?という質問が次々に用意されているような,とにかくめんどくさいものである。養老さんの「バカの壁」はこのことを言っているのだと思う。ということを先ず言っておきたい。

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