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2017.08.28

仏教の唯識

 先週NHK教育テレビで放送された「こころの時代」~唯識に生きる⑤というのを録画してみた。いつも見ているわけではなく,出演者に理論物理学者の大栗博司さんが登場していたからだ。仏教学者の横山紘一氏と20分くらいの対談が面白かった。000069109602017_01_580
 
 唯脳論は,まさに唯識論と同じで,この世のすべてはわれわれの脳に生起する意識でしか表現されない,ということだ。もちろん無意識というのもある(仏教では阿頼耶識と)が,意識的なことがらを表現するとすれば,絵画や音楽でも良いが,普通は人の話す言葉というもので記述することになる。では,言葉とは何か。つくられたものである。そういう恣意的な言葉で,元々からあった世の中の様子をただしく記述できるのか。そういった制約から逃れられないのでないか。
 さらに,われわれの考えというものを意識的につたえようとすれば,言葉にせざるを得ない。本来の事象と言葉の結びつきは,すでにつくられたものとしてあるから,逆に私たちはそのような社会的な約束に即して生きて行かざるを得ない。そうではない,父母未生以前の自己(漱石にでてくる)とは,どのような存在か,といった考え方を探ると仏教になる。西洋では,絶対的な神がもともといることになっていて,すべてはすでに与えれたものとして存在するから,このような議論ははじまらない。

 古くからわれわれの認識が,かなりあやふやなものだということは分かっていたのだ。では,なぜそんな風に脳ができているかと言えば,人々が協力し合って認識を共有し,信じる(虚構でも)という能力を持ったからだと考えることができるだろう。集団で何か事に当たり,力を合わせるには,言葉が必要だったし,ウソ(でも)を信じ合えることが大きく役立ったと考えられる。


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