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2017.11.13

南多摩の思い出①

 今尾恵介さんの著作になぜ惹かれるかというと、ただ地図を読むだけでなく、地図に過去が記録されていることを利用してタイムスリップができることを教えてくれるからだ。残そうと思って作られたものでないだけに、むしろ価値がある。養老先生は日本人ほど過去を消すのが特異だと言う。もちろん地図からもいろんなものが消されたりする。戦争中の偽記載なども、そういうウソの記録として残ってしまった。地形図は、版を重ねるごとに土地の様相を記録していく。それを肌で感じたのも、多摩ニュータウンに移り住んだからかもしれない。地図は考古学的、考現学的な一級の資料といえるだろう。

 今だから暴露するが、移り住んだ賃貸(当時住宅公団の)集合住宅は、突貫工事で作ったのがよく分かった。壁紙で胡麻化していたが、コンクリがむき出しの壁にはテコの跡があったり、階段の段も適当な間隔だったり傾いていたりしていた。そんなのが我が家の新しい住まいだった。どうして引っ越したかというと、それまでも八王子の集合住宅いわゆる団地住まいで、妹も私もそろそろ別の部屋が必要で2DKでは狭くなったためだ。当時は建設ラッシュでいろんな団地ができていたが、ようやく抽選に当たり、引っ越したというわけだが、今思うとそれが多摩ニュータウンだったのは特異なことだった。なにしろ、すべてが新しい街で、学校も新しいから、生徒はみなあちこちから引っ越してきた転校生ので構成されていた。昭和46年に入居が始まった諏訪と永山地区だけなので、中学は1校しかなく4月に開校した当時は1学年20名ほどだったそうだ。2学期になって(夏休み中に引っ越した)私と一緒にそこに7,8人転校生が加わり、たしか2年生になるときには2クラスになった。振り返ってみると、どの友達も同じ団地住まいで、親の年も年収もそれほど差がない、昔で言えば長屋住まいのような若いサラリーマン家庭ばかりだっといえる。会社の重役だとか名主みたいな家の子は当たり前だがいなかった。

 なにより、陸の孤島といわれたように、まわりの丘はいたるところでまだ造成工事が行われ、ブルドーザーがうなりを上げていた。緑が削られ、赤土の場所が次第にコンクリートの建物に変わっていくさまを大学生になるころまで見ないことはなかった。今まさに作られていく新しい景色は、自分にとって既知のものではない。どうつくろっても、かけがえのないものとは言えない。そんなアイデンティティの喪失感が、私の性格にも反映されているはずである。


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