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2017.11.14

南多摩の思い出②

 地域開発、というのはその当時の国是のようなものだったのだろう。だが、そこに住んで開発されていく様を目のあたりに見るのは、たぶん廃墟を見るのと同じような感覚だ。きれいな建物、きれいな公園、新しいショッピングモールができてそこに住む。しかし、あの山を崩して出来上がる建設過程をみると、ようするに出来合いの代物だ。街とは住んでいる人が作るものだろう。こう思うのは今だからで、当時の自分にとっては強制疎開させられて、それが良いのだと無理やり押し付けられている感じだった。白けていた。

 高校もニュータウンにできたN山高校だった。高校進学は結構シビアな分かれ目だ。そこそこ勉強ができた私は、公立2番手くらいの偏差値で都立の群制度でG代F中くらいと言われていたのだが、先生たちの指導が入った。新設高校のN山に優秀な生徒を送ってレベルの高い進学校にしよう。というので、本人が強いて嫌がらねば、どうだねパイオニアになってみないか。という勧告にしたがい、その他の連中といっしょにN山に入った。ちょうど京王線が調布から延伸してきたので、結構遠い調布あたりの中学からも、ちょっとガラの悪い子らも入ってきて、質が様々だったのが良かったのか悪かったのか。なにしろ、学校の場所はニュータウンの南の境界の尾根幹線沿いで、永山駅からはバスに乗らねばならない。こんな不便な立地にあって、偏差値など上がるはずはない。当時新宿高校からやはりパイオニア精神でN山高校に転任されて尽力された、私の1年の担任(数学)と剣道部の顧問であった恩師のYG先生がOB会のたびに、駅に近いところに作る案もあったのになー、とこぼしておられる。

 私は、高校まで歩いて15分ほど、確か始業は8時40分だったから、朝ドラが始まるくらいに家をでれば間に合った。それでも、遅刻常習犯だったと思う。当時の都立高校というのはほんとに自由おおらかで、よほどのことでなければ、問題にならないし、何というか先生も生徒も暗黙に同じところに線引きをしていてうまくいっていた。うちの親もふだんからぼんやりした人間がさらにぼんやりしてくのじゃないかと心配した。電車に乗って遠くまで通う経験をさせなくて大丈夫かと言っていた。

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