地学巡検

2017.03.21

福井県立恐竜博物館

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 2000年に開館した県立の恐竜博物館。日本で恐竜の化石が大量に発見されているのは福井金沢にまたがる手取層群というジュラ紀白亜紀の地層で,この勝山市でもワニの化石などが発見されてるそうだ。このためだけに福井にも行く人もたくさんいると思う。歴史的には平安期から栄えた平泉寺という寺院史跡にも立ち寄った。ここもお薦めで,さらに福井平野には古墳もおおくこの地域が古代から豊かであったことに気づかされた。

 行ってみるまでは分からないもので福井市内から,車で30分以上かかる郊外にあり,敷地の規模やモダンな建物からいって日本一を誇れるものだ。このブログにアップしていないけれど,行ったことがある中国の自貢恐竜博物館や世界恐竜谷(雲南省)に引けをとらない。ただ,日本で発見される恐竜そのもののスペースはそれほど大きくはない(下写真参照)。

 地質(地層)と化石は,地球の歴史を物語るものであるので,多くの自然史博物館にその種の同じような展示を見るけれど(国立科学博物館,生命と地球の星博物館など),ここのがシンプルかつ代表的で見応えのある化石から構成されているという印象をもった。考えてみれば,生物進化と環境の変遷を化石を使って一度に説明するのはどだい無理なのかも知れない。お土産に,越前和紙製の恐竜骨格組立パズルと,恐竜シルエットのお弁当のりを買った。

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      福井で発掘されている全身骨格恐竜化石

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      2階に昇るスロープから,骨格標本は残念ながらレプリカが多い

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      入り口からいきなりエスカレーターで地下に潜る趣向でおおっと思わせる

2016.02.13

札幌へ

 上手く連休ができたので,札幌雪まつりを見に1泊で北海道に行ってきた。この時期に北海道に行くのはもちろんはじめて。なかなか機会をつくるのは難しいと思う。札幌は父のふるさとであり,祖母や祖父,おじさんの墓もある。また,夏に支笏,洞爺湖は回っていたので,平成になって3回目になる。

 おりしも,中国の春節と重なっていて,ニュースでも爆買いの中国人があふれていると報じており,確かに空港から電車からラーメン横丁まで外国人があふれていた。ただ,行くところがみんな一緒という感じで,日本人がいなくなるわけでもない。日本一の規模を誇る登別温泉の湯船には中国人がいなくてほっとした。

 2日目の朝に北大に行ったら,生協のようなところが開いていて「道央の地形と地質」というガイドブックが手に入ったので,登別ではプチ地学巡検もできた。お土産に,最近流行のブラックサンダーチョコの北海道バージョン「白いブラックサンダー」を買って帰ったら,職場でけっこう受けた。


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羽田からの離陸と富士山
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進撃の巨人

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すすきのの夜景

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登別温泉第一滝本館の湯船から

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地獄谷の全景


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室蘭本線の車窓から,支笏火山(中央に樽前の溶岩ドームが分かる)

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クッタラ火砕流の溶結凝灰岩の露頭(蘭法華岬)


2015.11.23

五日市の地質見学会

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 11月11日に,東京都地質調査事業協会主催の地質見学会「本邦地質学の難問,黒瀬川帯の謎に迫る」に参加してきた。
 本邦という言葉に,私のような古い人間は引っかかってしまい,さらに地質学的に黒瀬川構造帯といえば,たしかに謎なわけで,なおかつ,場所が五日市である。珍しいものや貴重な体験をしたかったらそれ相応に時間とお金をかけて遠くまで遠征するのが普通なのに,家から小一時間の場所で,かつさらに,案内してくださる講師は,幾度もお世話になっている産総研の高橋雅紀さんである。これは参加せざるを得ない。しかし,いったい何から説明すればいいのやら。
 ほとんどの人にとって,地質学と考古学は同じものではないだろうか。遺跡の発掘も恐竜化石発掘も,ようするに過去の遺物という認識であろう。過去の時間のスケールというのは人によって違っている。まずそこを確認してから話をはじめないと成り立たない。これは,空間にも言えて,自分と他人では認識のスケールが実はまちまちだという問題は,まじめに議論すべきだと思う。いろんな行き違いが,夫婦なんかで典型的にあるのもそれに近い。
 地質学的な日本列島の形成史について,形成史の形成史がある(参考「絵で分かる日本列島の誕生」)。データは地層から発見される化石や地質体(岩石と構造)である。研究者は野山をめぐって新たな事実を発見しに出かけ,発見しては論文に記載する。このとき,発見が古いことであるほど注目されるのは,過去を調べることの必然かもしれない。また,できるだけ整然たる秩序や順序が成り立っている方が理解されやすい。日本列島の形成史の形成史をみると,これらのバイアスに加えて,政治的な世界のイデオロギー対立(参考「プレートテクトニクスの拒絶と受容」)までもが関わって,一度定説となってしまうパラダイムから抜けだす困難などもふくめて,現在の解釈にたどりつくまでの紆余曲折が半世紀以上におよんだと言えるのではないだろうか。
 たぶん,このような大げさな認識をもつのは私のような少数派だろう。理由は,70年代に高校で地学を学んでおり,その後理科教員として地学を教えるのに,教科書の記述が2転3転するのを見てきたからである。
 それで,今回の巡検では現段階でもっとも新しい日本列島の形成史に基づいて見学してきたのだが,まだ頭の中がもやもやしている。キーワードは蛇紋岩メランジュと構造性侵食なのだが,受容するのにもう少し時間がかかりそうだ。
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  関東山地の黒瀬川構造体を示す蛇紋岩メランジュの露頭

2015.10.28

ブラタモリ富士山②または『富士山はなぜそこにあるのか』

 ブラタモリ富士山の第2回目について,ますます感動的だったといいたいところであるが,いくつか指摘しておきたくなった。それは「富士山はなぜ(どうして)そこにあるのか」という本がすでにあるという話。

 まず,私は不肖の学生であったが,母校東京都立大学理学部地理学科でお世話になった貝塚爽平先生の「富士山はなぜそこにあるのか」丸善出版(1990年)(再版,講談社学術文庫「富士山の自然史」2014年)の最終章から引用する。

『自然を読むということ(中略)狩猟採集時代はもちろん,農耕開拓時代の人間にとっても,自然をどれだけ読めるかは生死に関わる問題だったが,現代ではどうだろうか。いまも人は地上に住んでいるから,居住地を選んだり,都市計画を立てたりするに当たって,土地の自然を読めれば,洪水,山崩れ,地震などの自然災害を避けたり軽減したりすることができる。
 ところが,そういう土地自然の読み方は,私自身の学習と教育の経験では,たとえ写真やスライドをつかっても教室では習得しにくいものである。具体的自然,ことに地形や地質を読むには,どこを歩き,どこをみるべきかを含めて実地教育が必要なのである。しかし,いったん実地に即して多少とも自然の「ありざま」を知ってしまうと,不思議なぐらいその後の「読自然」能力は得やすく,読書によっても増やせるものである。実物と文字,実物のあり方と知的論理の対応がつくからであろうし,「読自然」のおもしろさが埋もれている人の能力を引きだしてくれるからだろう。
 こうして人が,自然を読むことの楽しさを覚えれば,風景の相当部分は植物と地形と天候で構成されているのだから,旅行や散歩の楽しみは倍増するというものである。そして,このように個人個人の自然史の理解と愛好が,社会的には地球上の自然や資源の保護,自然災害や公害の軽減の基盤ないし原動力となるのはいうまでもない。(後略)』(引用終わり)

 なんといっていいのか,ブラタモリの面白さや感動がわからない人には,これを読んでもらうしかない。実地に歩いて発見することがいかに楽しいのか,というブラタモリはおそらく貝塚先生も推奨したはずである。とにかくでかけるのが好き,多少とも自分で旅行の計画を立てたてて,その善し悪しを吟味したり,土地土地の中に同じと違いを見つけたことがある人には意味が分かるはずである。この本の存在を思い出し,読み返してみたらとっくの昔に大事なことが書いてあった。やはり貝塚先生にはかなわない。

 それと,2回目の最後に,富士山の美しさが,「私たちが今の富士山の姿に出会えた時期の奇跡」という話だったが,このことは,貝塚先生の直弟子である山崎晴雄さん(首都大学東京教授:私の先輩)が今年のNHKラジオ番組(カルチャーラジオ「富士山はどうしてそこにあるのか」2015年1月~3月NHKラジオ第2放送)でもっと端的に指摘されている。富士山の2900年前の山体崩壊とその後の活発な噴火活動が現在の美しい姿(化粧直し)をしているというだけでなく,世界でもまれなプレートの三重会合点(フィリピン海プレート,北米プレート,ユーラシアプレート)に位置することを,世界でも「不二の山」であると書いている。

 実は,山崎さんはタモリのもう一つの看板番組「タモリ倶楽部」(テレ朝)に活断層が専門ということで「三浦半島断層群を行く」という回(2012年11月前後編放送)に出演されている。この辺の話を続けるには長くなったのでとりあえずここまで。
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2015.09.23

アイスランドへ

2006年に(株)花王の教員フェローシップ研修で,アイスランドに行った時の報告書がネット上でPDFになっているのでリンクを張っておく。約1週間の研究ボランティアに参加したときのもの→「アイスランドの氷河」Skaftafell


2013.06.10

深谷断層見学会

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6月9日,日本活断層学会が主催する深谷断層見学会に参加した。関東地方や首都圏の活断層として立川断層などと並んで直下型地震の震源断層として注目されている深谷断層。平野の地下に伏在しているので,断層の露頭や地形の変位が見られるかと思いつつ,深谷まで湘南新宿ラインで,遠いのでグリーン車に乗ってしまった。
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日本の活断層百景見学シリーズの7回目ということで,まず深谷駅南口すぐのところにある瀧宮神社がポイント①,社殿にのぼるこの段差が,断層のずれによる撓曲崖だそうである。解説は産総研の水野さん。
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続いて中山道のバイパス沿いの道の駅岡部の近くにある,活断層の風景100選にも選ばれているという地点②からやはり深谷断層の撓曲崖をのぞむ。

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深谷断層のバックスラストと考えられている平井断層の断層崖。
ただし,関東平野の基盤構造について調べている産総研の高橋さんの解釈では,こちらが主断層で,深谷断層がバックスラストという解釈もある。
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断層露頭は見ることができなかったが,櫛挽断層のトレンチの現場では,資料の写真やボーリングデータを確認しながら議論がおこなわれた。最も新しい活動時期はおよそ6000年前と推定され,過去27000年間に3回,約1mずつ変位している。このすぐ南側の関東山地が基盤であり,中央構造線の東日本への延長と考えると,これらが中央構造線という日本を貫く大断層による地震活動と思えなくもない。そう思うととても感動的でした。
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高橋雅紀氏のHPから

2012.11.04

白い粉の秘密2(地質学会銚子巡検)

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10月27~28日(土日)日本地質学会関東支部主催の巡検(観察勉強会)に参加した。場所は,今年日本ジオパークにも選定された,千葉県銚子周辺である。一日目は産総研の高橋雅紀さんの案内で,日本列島の地質構造上の再検討に関する露頭(地層が見える崖)の観察で,高橋さんについては,すでに紹介している(産総研のHPをご覧ください)が話が長くなるので割愛する。二日目は首都大学の鈴木毅彦さんによる,屏風ヶ浦の断崖を構成している更新世前期~中期(100~200万年前)の地層に挟まっている,広域火山灰(テフラ)層の観察である。
驚くべきことだと思うのだが,日本のような火山地域では,数万年に一回程度,破局的噴火による超広域(日本列島全土を覆うくらい広く)にガラス質の火山灰が厚さ数センチ以上の地層として何十枚も見ることができるのである。Ae0068_r
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南関東地域で100万年前の地層というのは,西部の多摩丘陵から横浜三浦と千葉の房総半島~銚子などに露出している上総層群という地層で,沈みこむプレートの陸側を沈降させる地殻変動(関東造盆地運動)によって海底に厚くたい積したものである。Ac006_r_2

ちょうど東京の真ん中がたわんで沈みこんでいるので,露頭が見られるのは西と東の端になり,それぞれの場所でどれとどれが同じものか(同時に噴火したのだからつながっているはずだが,つながりを見ることはできないので)対比して,噴出年代や噴火火山(給源)を探ることが鈴木さんの主なテーマで,彼はその研究の日本の第一人者町田洋先生(都立大学名誉教授)の継承者である。
最近自分の住んでいる足下の地面,つまり上総層群の露頭を高津周辺で見るようになって,5年前にも同様の巡検に参加したときから,もう少し勉強したいと思っていたのである。(↓高津区の露頭)
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地層が見られる露頭を探し,地層断面からガラス質火山灰層(白い粉)を見つけ,採集して化学組成を分析し,地層のその他の状況やたい積順序から別の場所のどれと同じかを探る作業は,試行錯誤も含めて科学の醍醐味そのもので楽しいし,何より給源火山を探り往時の噴火の規模を想像して地球のスケールの大きさに感動する。それがこの白い粉に魅せられる人たちがあとを絶たない理由で,さらに多くの人に,知ってもらいたい日本の自然についての確実な知識だと思う。Ae008_r_2
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(写真)採取した火山灰をすこし水で洗って顕微鏡で見ると,ほとんどがバブルウォールタイプ(マグマが発泡で風船のように膨らんで破裂した破片)と呼ばれる火山ガラスであることがわかる。
関東地方の地層断面図は,アーバンクボタから,高橋さんの日本沈没のシナリオはここで。
白い粉に魅せられた人々↓5年前の巡検(多摩丘陵)。
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2010.03.07

地球深部探査船「ちきゅう」一般公開@清水港

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日本で純粋に学術研究のために作られたこんなに規模が大きいものは,めずらしいと感じてしまう自分が昭和の人間だと思う。タイタニックや飛鳥Ⅱを越える5万7千トンは超弩級といっていい。立花隆は素粒子研究の加速器を,現代の戦艦大和だといったが,大和(6万5千トン)に匹敵する巨大な建造物を一目見ようと雨の中,静岡県清水港まで出かけてきた。午前9時過ぎに清水駅に着く。今回の一般公開は事前登録などもなく,大勢集まっているかと思ったが港までとくにイベントがある雰囲気は「ちきゅう」が横づけされている埠頭まで皆無であった。とにかく大きくて,高さ130mもある掘削用のやぐらが雲にかかっている。思わず,風邪で寝込んでいる妻に写真に収まらないこの大きさを写メールで送ってしまった。
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インフルエンザ対策の検温を兼ねた受付を済ませると,行列ができているが,15分ほどで船内へ。いきなりビルの7階相当登ったブリッジからは港の景色が一望できるほど。マントルまで掘れるという掘削技術の説明や,採取コアの分析用のCTスキャナーなどの施設を順に巡り,40分くらいの船内見学だった。埠頭近くで同時開催の「ちきゅうと地震科学の最前線」というシンポジウムの静岡大学の小山真人さんの東海地震と富士山噴火の話も聞けて有意義な見学ができた。帰りに港の市場で今朝上がったというホウボウ(4尾550円)を買って帰り,この煮付けも美味であった。


2005.08.20

生物の大量絶滅

または地学についての覚え書き その1
 過去の地球環境に関する知識は,ほとんど地層から得られる。地層をつくる物質の特性やたい積のようすを,現在の自然環境や過去の研究に照らし合わせることによって得られる。これには,地質学という学問が中心的な,最終的な判断を提示すると言っていい。
 このとき,提示されるのはおもに2つのことである。ひとつはその地層がいつ,今よりどれくらい前に形成されたものかということと,もう一つはそういう物質やたい積の仕方がどのような環境(場所)で生じるか,という点である。前者は放射性元素による年代測定法が確立させるまでは,ほとんど推定するだけで,たい積の前後関係は分かっても絶対的な古さまでは分からなかった。後者についても,この地層は一体何?というような,現在の我々が知りうる地球上の環境からはあり得ないものと考えられることがたくさんあった。
 地質学の歴史において,初期にはこのようなよく分からない状態のなかで,2つの考え方あった。それぞれを斉一説,激変説という。斉一説というのは現在起こっている自然現象は,過去からずっと変わらずにあって,現在を明らかにすれば過去にもそれを当てはめることができる,という考え。一方の激変説は,過去の地球はさまざまな天変地異をくり返していて,現在の自然現象をそのまま過去に当てはめるのは無理があるという立場である。
 理屈から言えば,激変説をとると「過去のことは分からない」ということになる。例えば化石に見られるアンモナイトのようなものをノアの洪水以前の今とは別な生物と考えたり,高い山の中にある地層は全部ノアの洪水のときにできたものだ,と考えて,一種の思考停止でかたづけるようなことになる。しかし,そのように考えること自体も現在の地球でおこる自然現象を基に想像しているといえる。したがって,科学的な態度をとれば,つねに斉一説をとりあえず当てはめていくしかない。事実,J.ハットンによる「斉一説」によって近代的な地質学が発展してきた。
 ところが,現在,その「斉一説」から明らかになったのは,地球は驚くべき「激変」「天変地異」をくり返しているということである。恐竜の絶滅が巨大隕石の衝突によるものだったとか,つい最近になって唱えられたことである。
 何が言いたいかというと,「斉一説」はある意味でつまらないということだ。しかし,斉一説を丹念にかつ地道に歩んできたからこそ,現在の地球史の面白い話題が花開いたという感じがするのである。
 高校で学んだ地学が面白くなかったという人も多いのではないか。昔の地学の先生といえば大概「岩鉱」といって,大学で岩石・鉱物を専攻した方が多くて,岩石の分類だの鉱物の結晶構造だの眠くなるような話をしていた,と思う。しかし,プレート・テクトニクスという地学革命があって以来ここ30年くらい,眠くなるような知識が総動員されて,地層に残されたさまざまな証拠から海陸分布や気候変化といった環境変遷が「地質学」プロパーから示されるようになってきた。そして,その研究方法は,還元主義的に細分化された重箱の隅をつつくようなものではなく,研究者個人の洞察力とフィールドワークにおける行動力がものをいうロマンにあふれたものとなっている。
 というわけで,先週岐阜県を旅行した際,鵜沼の木曽川河原にある,古生代ペルム紀と中生代トリアス紀を分ける地層を見に行ってきた。2億5000万年前に起きたスーパープルームによる大噴火が,当時の生物の95%を絶滅に追いやったという。それを記録する酸素欠乏状態におけるたい積物(大量の有機物の集積による炭素を含む地層)がその証拠であるという(写真)Img_2156


 でも,あっけないくらいの厚さしかなくて,本当かな?というのが率直な感想である。
参考URL http://www.brh.co.jp/experience/exhibition/journal/44/research_11.html#2