思想・哲学・文学

2017.09.20

アナログ

 たけし,つづきなのだが,ビートたけし(北野武)が恋愛小説を発表したそうだ。→こちら
 さすがに多才というべきだが,題名の「アナログ」について,「スマートフォンは嫌い。IT産業が世界中の人間に手錠をかけたと思ってる。便利だけど、貧富の差が開いたことへの影響も感じる。なるたけアナログで行きたい」と答えている。同感である。
 サピエンス全史のハラリ氏も,少なからず将来GoogleやAmazonのようなIT企業が世界中の人々の個人データ(知能や性格まで)をデータとしてもつことになると指摘している。理由は小学生にも分かるだろう。スマホはなるべく使わない方が良い。

 小田嶋隆が書いているように,昭和50年代まではさまざまな団体の住所録を集めて売っていた。生徒名簿,会員名簿などの住所が漏れたとしても,DMが手書きであった時代にはだれも個人情報の流失などと騒ぐこともなかったのである。90年代までは,パソコンだってなかばおもちゃみたいなものだったし,インターネットだってこのniftyのフォーラムとかに入って情報を交換するくらいだった(5年も続かなかった気がするが)。デジタルが今のように席巻しまくるようになったのは,たぶん半導体の加速的進歩でより速く,莫大なデータを扱えるようになったためで,だからといって世の中(世界というか自然界)が変わったわけではない。はっきり言って2000年代から余計な仕事がどんどん増えていったと思う。いつも言ってるが,コピー機もなく,ガリ版ずりの謄写版の時代は,プリントなんか滅多につくっていなかった。そろそろ紙ベースの情報さえ無くなりそうだが,結果として誰もが馬鹿になっていくだろう。

実際,この世の中はデジタルで記述できるはずがない。どんな大きさだって,1,2,3‥‥と区切られておらず,定規をあてれば,何処までも誤差がつきまとう実数(意味分かります)なはずである。ちょっと前まではCDはデジタル化しているから音質が損なわれていて,レコード(アナログ)の方が良いに決まっている,と言っていた(90年代前半くらい)ものだ。

 そのことを,知らない世代というのが,ほんとに言うとちょっと怖い。子どもには,なるべく自然から直接受けとる感性(センス)を育てて欲しいものである。昔は,物理の授業で,誤差の測定というのを最初にやったのだけれど,ほんとそれって何よ,としか今の人は思わないだろうな。やはり,ちょっと怖いと言っておこう。

2017.08.28

仏教の唯識

 先週NHK教育テレビで放送された「こころの時代」~唯識に生きる⑤というのを録画してみた。いつも見ているわけではなく,出演者に理論物理学者の大栗博司さんが登場していたからだ。仏教学者の横山紘一氏と20分くらいの対談が面白かった。000069109602017_01_580
 
 唯脳論は,まさに唯識論と同じで,この世のすべてはわれわれの脳に生起する意識でしか表現されない,ということだ。もちろん無意識というのもある(仏教では阿頼耶識と)が,意識的なことがらを表現するとすれば,絵画や音楽でも良いが,普通は人の話す言葉というもので記述することになる。では,言葉とは何か。つくられたものである。そういう恣意的な言葉で,元々からあった世の中の様子をただしく記述できるのか。そういった制約から逃れられないのでないか。
 さらに,われわれの考えというものを意識的につたえようとすれば,言葉にせざるを得ない。本来の事象と言葉の結びつきは,すでにつくられたものとしてあるから,逆に私たちはそのような社会的な約束に即して生きて行かざるを得ない。そうではない,父母未生以前の自己(漱石にでてくる)とは,どのような存在か,といった考え方を探ると仏教になる。西洋では,絶対的な神がもともといることになっていて,すべてはすでに与えれたものとして存在するから,このような議論ははじまらない。

 古くからわれわれの認識が,かなりあやふやなものだということは分かっていたのだ。では,なぜそんな風に脳ができているかと言えば,人々が協力し合って認識を共有し,信じる(虚構でも)という能力を持ったからだと考えることができるだろう。集団で何か事に当たり,力を合わせるには,言葉が必要だったし,ウソ(でも)を信じ合えることが大きく役立ったと考えられる。


2017.07.29

ホモ・デウス(Homo Deus)

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 まだ日本語訳がでていない,ユバル・ノア・ハラリ氏のサピエンス全史の続編が,DVD(講演の録画)として出ていたので買って見た。いや,やっぱり彼はすごい。AIが人類をどこに導くか,という話をこれだけまとめて話せるのは今ハラリ氏だけではないだろうか。

 表題のデウスはラテン語の神のこと。今後人類は遺伝子レベルでサピエンスから進化して,いわば神の領域にアップグレードするという意味だ。この講演がアメリカの何処大学でいつ行われたか,書いていないが,話の中で聴衆に受けていた部分がやはり面白かった(ネタバレだな)。危険なのはISのテロより,コカコーラとマクドナルド,とか。

 AIが何をもたらすか。現在Googleは生物学者を雇っていると言うが,これからは哲学者が必要になるだろう。という話,ネタばれすぎるが,自動運転車のAIの判断(人を轢きそうになって,よけたら崖に落ちるというとき)アルゴリズムをどうするか,消費者は他者優先と自分優先のどちらを選ぶか。といった問題。

 AIは単に知能であって,精神と意識は当分作り出せないだろう,という理由などすごく面白い。お薦めです。

2017.07.07

人体という小宇宙

 今年は,高校の生物基礎も教えている。昔の生物に比べると内容が精選されてアホみたいに細かいことは教えなくても良くなった。染色体の連鎖と組換えとかカルビンベンソン回路の中身とか。それが「生物」だ,みたいな部分がなくなった。反対に,恒常性とか生態系とか実際的な内容に代わっている。

 昨日は,試験後の授業だったので,4月からの復習と称して生物の見方を簡単に説明した。習ったもののサイズと数の話。養老先生の受け売りでもある。

 生物学のセントラルドグマ(古いんじゃ?)が教科書に出てくる。DNAからタンパク質ができるという。それから,細胞のこと,細胞分裂のこと。染色体とDNAの関係は,昔より分かりやすい図が描かれるようになった。
 しかし,大きさのことに触れている人は少ない。DNAは分子レベルだからnm(ナノメートル),細胞は顕微鏡だから㎛(マイクロメートル)単位だ。で,細胞は10㎛位だから,DNAの約一万倍。もし,DNAのはたらきを見ることができるとしたら,イメージすると,幅1cmほどのリボンのようなものからmRNAに転写,アミノ酸が連結してタンパク質ができるというのだが,それをながめている人から見て,細胞のサイズは1万倍だから10000cm,すなわち100mである。細胞がいかに巨大なプラント設備のように見えるか,ということ。
 さらに,私たちの日常スケールと,細胞のスケールも,ほぼ1万倍の差がある。10㎛は1/100mmだから,その1万倍が10cmになる。私たちの身体の10cm四方くらいの肉塊に,細胞は10000×10000×10000個,つまり1兆個ある。もし細胞1個を直径1cmのビー玉にしたら,これが1辺100mの立方体にぎっしり詰まっているイメージ。
 
 このような,巨大な(無数のシステムからなる)生物のしくみを理解したと信じている方がおかしい,と養老先生は指摘している。大腸菌が何億だったっけ,自分の中に住んでるのだって,うちのかみさんは信じないだろう(自分はつねに清潔だと思っている)が,事実だからしかたない。普通宇宙というと,広大無辺のことだが,地球の海なんかもふくめて,生命そのものが宇宙と言ってよく,こんなことを考えても何にもならないと仏教では「空」と呼んできたのだろう。「無明」かな。

2017.03.03

サピエンス全史(上下)

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 今も,多くの本屋で平積みにされている,全世界ベストセラーということで,分野で言えば「歴史」。正確には歴史評論というか文明論でもあるだろう。先月まで上野の国立科学博物館で「ラスコー展」が開かれていたので,サピエンスといえば,「人類学」のような気がするが,下巻をジュンク堂で探したら「歴史」のコーナーに置かれていることを確認した。実際著者のノア・ハラリという人はヘブライ大学で歴史(中世軍事史など)を教えているとカバーにも書いてある。
 
 上巻の初めの章を読んで,これは養老先生の「唯脳論」と同じことを言っていると思った。ただ,全編を通じて書かれているのは,その唯脳論によって起こった人類の歴史である。養老先生に先見性があるとはいえ,これだけの展開を示せるハラリ氏もすごい。唯脳論でも我々の脳が持つ抽象的思考の説明はあるが,これを端的に“幻想”,あるいは,言語や貨幣,社会,国家などすら脳が描く“虚構”の産物であると説く。すごいと思う。

 内容を順番に列挙すると,認知革命(これがサピエンスの脳),農業革命(神話,差別,文字),貨幣と統一,帝国,宗教,科学革命(無知の発見),資本主義,産業革命,未来の人類といった具合だ。かつてのトインビーや文明の生態史観(梅棹忠夫)といった感じだが,それらを越える論旨が感じられる。例えば,サピエンス(人類)が世界中に広がる間に,その場所の野生動物をどれくらい絶滅に追いやったか,農業による食糧生産が人を幸福にしたか,多神教と一神教の共通性,ヨーロッパの先進性の理由,戦争や厄災の犠牲などを定量化して示すなど,つねに現代の視点から比較して考えさせる独自の工夫が多くある。たとえば,「科学」という人類にとっての無知の発見が,コロンブスにあるという話も,ガリレオとかじゃない点で目から鱗である。そして,我々の業の深さとも言うべき,家畜の犠牲の話は誰もがショックを受けるだろう。最後の方の幸福論(我々は進歩したのか)は,しつこいくらいで,どうでも良いような気がしたが,これが著者のモチベーションかと思うと,信頼すべき文明批評と言うべきか。仏教の教えに造詣が深いこともなんだか著者なりの解答を示しているのかも知れない。とにかくとても参考になった良い本である。

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     国立科学博物館「ラスコー展」で

2017.01.10

漱石のこと1

 昨年12月,夏目漱石没後100年だったようで,NHKのドラマもあったし,岩波の漱石全集も刊行されたり,岩波新書で,2冊の漱石本が出ていたので,2つとも買った。で,2冊目の赤木昭夫著「漱石のこころ」を読んでたまげた。
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 あの小説「坊っちゃん」は風刺小説で,登場人物は明治の元勲,山県有朋,宰相,西園寺公望や桂太郎をモデル(パロディー)にしているというのだ。

 だれもが,世のインチキ野郎をやっつけてくれる痛快なお話しだと思っているだけじゃない深読み,というか今までだれがこういう指摘をしただろう。漱石の「こころ」を没後100年を契機にもういちど正しく読み解くという重大なメッセージをこの本から,少なくとも私は受けとった。