映画・テレビ

2017.07.26

藤原新也の沖ノ島

 7月に世界遺産に登録されて,一般の人はもう立ち入ることができないという沖ノ島。藤原新也という人はそういう旬な場所を一歩先にかぎつける能力があるみたいだ。昨日BSでその番組を録画してみた。
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 小説まがいのルポというか,ほんとにそんな不思議なことあるの?というような話を次から次に書く人だと思う。同じことは,「みんな彗星をみていた」の星野博美さんにも共通する。世界を旅してエッセイを書くというのには少しあこがれる。藤原新也の場合には,写真がまたすごい。番組では,その場所で空気を感じ,その空気が写せると思ったらシャッターを切ると言っていた。大げさだが,たぶんその通りなんだと思う。直感を研ぎ澄ますというか,普段からそういう訓練というか,写真文学者というジャンルはこれまたあこがれる。8月1日まで,沖ノ島の写真展をやっているので見に行ってみるつもりだ。

2017.07.23

AIが政策提言

 またまた,NHKの番組なのだが,昨日の「AIに聞いてみた~どうすんのよ!にっぽん」である。少子高齢化,人口減少,医療年金問題など将来に不安を抱かせる日本社会の現状をNHKが独自に開発した人工知能に70万ものデータを入力してでた結果からマツコ・デラックスをゲストに討論する番組である。
 細かいことは,他に譲るが,浮き彫りになったのは40代の一人暮らしを減らさないと,日本の将来は危ないという後半の話だった。いま,40代の一人くらしの半分以上の人が非正規雇用で,結婚もままならないくらしをしている。まず,言われてみればそんな気がするが,2,30年前には40すぎて結婚してないなんておかしい,という常識がはっきりと崩れているという事実。で,そういう人たちの数を減らすにはどうすれば良いか,という質問をAIにぶつけると,答えは「賃貸住宅の家賃を1万円安くする」だった。
 
 番組を見ていない人につたえるのは,ちょっと難しいが,今まで政策的に行われてきたのは住宅ローン減税とか持ち家への補助。つまり,結婚前提で家族を抱えた人への厚遇のみで,上記のような一人暮らしの人への対策は何もなかったことに気づく。40代で独身貴族のような人は一握りにすぎず,このまますすめば,一人暮らしの高齢者がどんどん増える一方,そして,そういうライフスタイルは,地域のネットワークも形成せず,孤立した都市生活を加速することになる,という見方だ。介護とか福祉というのは,互助的な社会が前提と思うのだが,そうしたつながりを今後つくるしかない,とコンピューターがはじき出したように感じた。

 家賃が下がったら,一人暮らしが減る,というのだが,一人暮らしを減らすのに,結婚ではなくシェアハウス的な住宅,異世代同居住宅も紹介されていた。なんか,朝ドラ「ひよっこ」のアパート暮らしを思い浮かべた。どう考えてもあのアパートは一人暮らしじゃない,みんな筒抜けで,こんなの嫌だと,言うのがわれわれ今の日本人なのだが,そろそろあの時代にもどろうではないか,というのが正解かも知れない。いや,絶対正解だと思う。

2017.06.12

SWITCHインタビュー 古坂大魔王vs.田原総一朗あるいは反知性主義(森本あんり)

 ピコ太郎というのは,嫌いなのだが気になる。そのプロデュースをした(本人)の対談番組というので録画して見た。なにが嫌い(違和感)といって,あの風体は典型的な「ヤンキー」というもののはずだからだ。私のような世代からは,不良の呼称というのは,つっぱり,暴走族やスケバン,しかない。いつからヤンキーが不良をさす言葉になったのか,べつに知りたいと思わないが,不良つまり反社会的行動の質が反体制的ではない,体制べったりの不良。かといって右翼でもないし,思想的反骨が感じられない。斉藤環という人がマイルドヤンキー(化)という語を使っているけど,それがヤンキーの雰囲気を良く表していると私は思う。私の中には,暴走族にも一分の理,みたいなものがある。私が通っていた都立高校には,当時クラスに1か2人暴走族に入っているヤツ(友達)がいたし,学生運動の余韻というか反体制(左翼的教員もいた)的な空気が70年代というものだった。
 要するに,自分の欲目でしかないが,われわれの若い頃は時代的雰囲気が今より知的だった,と言いたいのである。
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 ICU(国際キリスト教大学)の副学長という森本あんり氏の「反知性主義」(新潮選書)はもう一昨年出た本だが,ピコ太郎とつなげて取り上げておく。ただ,ここで,現在,日本に反知性主義が蔓延していると言うつもりはない。この本によれば,反知性主義とは,アメリカという国の歴史に根ざした現象をさすものであって,決して反知的なムーブメントをさすわけではない。まあ共和党的なもの,キリスト教福音主義原理主義的なものではあるが,言葉として日本に当てはめるのは誤解のもとと言っておいたほうがいい。ただ,副題にもあるように,「熱病」のようにトランプ政権を誕生させたものの正体と考えて良く,日本にも,似た状況が生じているとも思う。イギリスやフランスがちょっと違うのは,簡単に言えば,歴史の古さと言える。とにかく,とてもためになったた本である。
 
 ピコ太郎こと古坂大魔王さんは,もともとお笑い芸人だったそうで,ネプチューンやクリームシチューなどと同年代で,ずっと売れなかったという。音楽(を取り入れたダンス)にこだわりがあることが,災いしたらしく,それでも,あの立川談志が高く評価していたというから,やっとブレイクしたということのようだ。本人曰く,お笑いが,風刺や体制批判をすることはもうできない(その反動で事務所やスタッフに迷惑がかかるから),バカをやって喧嘩や争いごとを少しでもなくせる(平和に貢献できる),くらいではないか,という。なんだか,聞いていて哀れになってきてしまった。行き詰まった末に,テレビでなく,50秒間の動画をネット配信(全部自腹だそうで)するという方法を考えついたのだという。テレビ(とともに活躍できた)しかない田原総一朗とは対照的に,メディアの持つ力をよく考えていると思った。

 なんだかんだ言って,結局教育だったのかと思う。東京教育大を筑波大に解体し,日教組をつぶし,教員採用試験や共通一次試験,一斉学力テストなどで,公立学校をしばり,イエスマンを大量につくることをジャブのように続けて今日に至ったのかなーと思う。あまり説得力がないが,模索をつづけます。


2017.06.10

養老せんせいとまる(猫)あるいは,続サピエンス全史

 長年理科を教えてきて,ずーっと,科学は人類の叡智だとか,科学的なものの考え方が大切だとか言ってきたような気がする。しかし,この頃歳をとってきて,科学というのも結局ただの信仰にすぎないと思うようになった。
 養老先生が言うように,生物の細胞の中身が,生化学的反応で成り立っているだろうという,漠然とした理解など,まさにそう(信仰)でしかない。1個1個の細胞ごとに,あるいは組織ごとにホルモンやらのはたらきで(それ以外にも恒常性を保つしくみがありそう),何百種類ものタンパク質(酵素)をそれぞれ的確につくったり,動作させたりするしくみなど,おそらく解明できるはずがない。脳科学で,いまだに意識や精神が神経回路としてどうやって生じているか分からないなど,脳が脳のことを考えているだけで,脳に備え付けの思考パターンでは理解できないのだろうと思う。言い方を変えると,脳は科学を発明はしたが,脳の認知能力にはおのずと限界があるということである。私たちの脳は,進化の過程で,ヒト同士のコミュニケーションを円滑にするために(これで人類は大発展をとげた)適応したものだたと思われる。

 つまり「唯脳論」なわけだが,「サピエンス全史」のノア・ハラリ氏も同じことを言っている。ハラリ氏はフィクション(神話,虚構)を信じる力,という認知革命からわれわれの歴史を物語る。養老先生は言語のもつ「同じ」化の能力をあげる。リンゴ,という言葉に,まったく実体としてのリンゴの性質がなくても「リンゴ」で意味疎通が可能というのは,言われてみれば,変な能力である。養老先生の前の飼い猫は,とらやのようかんとそれ以外のようかんを食べる前に識別する能力があるという。わざわざ,世界に1つだけの花などと歌わなくても,「ちがい」が分かるのが野生で,それを忘れ,オフィスで人間関係に煩わされ,疲れている人だらけですよ,というのだ。

 地学で天文を,教えるときには特にガリレオの地動説が科学的思考の原点だ,みたいにいままで考えていた。だが,ハラリ氏の本で,科学のはじまりは,コロンブスの新大陸発見(コロンブスはインドだと思っていた)によって,人類の無知さ加減が実証的に分かったのがきっかけだという見方に大いに納得している。ガリレオなど,ほとんどオレの方を信じよ,といっているようで,地動説の実証(年周視差やフーコーの振り子)にはその後200年以上かかっているわけだから。
 実証というのも,科学は実証によって成り立っていると漠然と考えているが,それによって明らかになったことは,人間の感覚とかけ離れているものが実はほとんどではないだろうか。コペルニクスしかり,アインシュタインしかりである。今のところ科学の基礎となる数理や物理にどれほど普遍性があるのか,実はわからない。宇宙の他の知性はまったく別の解釈をしている可能性もある。なぜなら,重力と加速度,時間と距離なども,もとは人間の感覚からはじまった概念だと思えるからだ。しかも,現代の科学の内容をすべて理解できる人がどれくらいいるかといえば,専門家がそれぞれにいて,なんとか破綻せずに築かれているものの,一般には,ラジオのしくみさえ知らない人がほとんどである。つまり,これが科学は信仰とかわらないゆえんである。
 もちろん,信頼性や,役に立つという点で,宗教道徳やお祓いにくらべて人類は進歩したと言えるのかもしれない。しかし,同時に放射能汚染とか,人工知能とか,われわれ自身を脅かすものも作り出しているのである。ハラリ氏の本の特徴は,人(ヒト)の幸福とは何か,を基準にしていることである。農耕で,人類は爆発的な人口増加を図ったが,果たしてそれが幸せだったか。このような問を立てたことは今までにあっただろうか。一例をあげると,昔に比べてヒトの平均寿命が飛躍的に伸びたのは幸福だというかも知れない。ただし,それは乳幼児死亡率が高かったからで,成人した人の長寿者(80,90まで生きる人)はむかしから変わらないという。2012年に世界で戦争や紛争によって命を落とした人は62万人であるのに対して,糖尿病で命を落とした人は150万人だそうである。今や兵器より砂糖の方が危険というのだ(最近のインタビュー記事より)。
 
 NHKの番組で養老先生とご自宅の飼い猫「まる」が紹介されていた(猫も杓子も~ネコメンタリー3月26日放送)。いつも,理屈をこね回しているのに疲れた,と評した方が良いのかも知れないが,猫を見て,うらやましがる。番組の最後のころ先生が,つぶやく。「これでいいんですよ。生きてくの。どっちみちたいしてかわんねぇんだから」が秀逸だった。生きているということは,違いの連続であり,みんなと同じをありがたがっているご,むしろそれで疲れ切っているのではないか。ハラリしも瞑想を日課にしているそうだが,自然と渾然となる体験を重ねれば,新鮮な日々を送れるのではないだろうか。

 すでに多くの人はマスコミやテレビニュースが,真実を報道しているとは思っていないだろう。小学生だってうすうす気づいている。政治家は強引に自分が正しいと言い張っているにすぎない。そんな主張につきあうのもばかばかしい。だが,この道はいつか来た道で,そのうちみんなで協力して(一致団結して)戦争をはじめるに違いない。そうならないためには,と私はハラリ氏や養老先生をこれからも称揚していくつもりだ。

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   新橋駅近くの電通ビル(この鋭角は‥‥ちょっと不気味ではと思った)

2016.09.20

巨災対

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 シン・ゴジラ。きのう2回目を見てきた。情報量が多く,リピーターがたくさんいるようで,ご多分に漏れず,えっ,そんな場面があったの?と,確かめたく,同じ映画を劇場で2回見たのは初めてのような気がする。

 東京に住んでいる人にとっては,ロケ地というのか,場所がリアルすぎる。多摩川とか蒲田とかほぼ地元と言って良い。また,ゴジラという厄災なのだが,ほとんどの人が地震や原発事故を連想していると思われ,こんな時どうやったら逃げのびられるか,身をもって体験している感がつよい(地下鉄構内も停電するし,車は渋滞し,地方にバスで避難するとか)。

 もう一つは,実際の総合火力演習のごとく自衛隊の火器(対戦車ヘリコプター,戦車,ジェット戦闘機は航空自衛隊)が使われ,その命令場面と政府内閣のやりとりなどが,さもありそうで,いろいろ腑に落ちるように作られていると思う。ツイッターの書き込みや動画サイト,官邸の記者会見をテレビで見せるあたりとか。

 そして,巨災対(巨大不明生物災害対策本部)の知恵とアメリカの圧力とのからみなどが,日本っぽく描かれる。ハリウッド映画だと,とんでもない金目当て野郎と知力に優れた正義のヒーローが最後は力(暴力)の対決になるけど,こちらはみんなで力を合わせ,(和をもって)呉爾羅という荒ぶる神をお酒(ヤシオリ)で鎮めるという図式は,どうも日本的だ。ここまで,2か月近くたっているので,すでにネタバレの問題はないだろう。

 そんなこんなで,久々にエポックメイキングな映画になると思う。この,ブログの初めは,「昭和と怪獣」というテーマからはじめたので,とっておきのDVD>「サンダ対ガイラ」や「妖星ゴラス」をまた見ようかとおもっている。

2016.07.25

続・秀吉と地震

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 昨日のNHK真田丸で,慶長伏見地震が描かれていた。地震の前に京都に灰が降ったという場面もあって,前に時代考証などいい加減だと指摘したが,結構史実を掘り下げているようで,先の印象を訂正しておきたい。地震加藤が出てこなかった,が,ウィキペデイアによれば,地震加藤というのは,歌舞伎の演目として創作されたもので,これこそ史実ではないそうである。こちらの過ちを訂正します。
 
 NHKBSで放送している,「英雄たちの選択」という番組も歴史を掘り下げていて面白いので録画してよく見ている。先だっては,加藤清正が関ヶ原に参加したら東西どっちについたかと言う話で,そういえば清正の名前が関ヶ原の合戦にないことにいまさら気づいたり。清正がもう少し長生きしたら,九州の大名たちを束ねて,西日本を支配していたかも,とか歴史の面白いイフを示してくれる番組だ。見逃してしまったのだが,天正地震がもし起こっていなかったら家康は秀吉に滅ぼされていたかもしれない,という見解も注目である。

 こうやって,歴史のIf(もしも)が超たくさんあって(地球の誕生や生命の歴史でも)こうやって今いるんだなーと思うと,これからどんなことが起こるのかも,不安ながら楽しみ(面白さ)となるものです。

2016.04.01

映画「パーティクル・フィーバー」

 IPMUで昨年上映会が行われたドキュメンタリー映画が,NHKのBSで放送された。放送されるという情報を得たのが一昨日だったので,見逃した人も多かっただろう。物理オタクしか見たがらない,ヒッグス粒子発見に至る物理学者たちの奮闘を描いたマニアックな映画である。
 この前の日曜日には,東大安田講堂でIPMUの「梶田教授ノーベル賞受賞記念講演会」があり,これもインターネット中継で見られた。この2月に重力波が人類史上初めて観測されるというニュース,さらに日本のX線観測衛星「ひとみ」が打ち上げられたが,どうも通信が途絶えているとか,物理学や宇宙の謎の解明に関する話題がここ10年くらいラッシュのようになっていると感じる。よく考えてみると,日本人のノーベル物理学賞11個のうち8個が2001年以降のもので,話題に事欠かないのもある意味当然なのかもしれないと思う。
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 何を隠そう,私自身2008年の小林・益川から,この素粒子物理学や宇宙論にはまって(復活して)いる。このことは以前にも書いた。今後,もっとも注目されるのが,ヒッグスの発見以来物理学の標準理論がどこまで正しいかと,超対称性理論(最近出た本)から予言される新たな粒子の発見だろうか。
 簡単にまとめることが出来ないので,関連するURLを再び並べておく。
とね日記
IPMU

2016.03.27

映画「アーロと少年」

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 「オデッセイ」を見る前に,このディズニー(ピクサー)アニメ映画も見たので感想をと思ったが,なにを書こうか,と考えがまとまらなかった。大の大人が見ようと思ったのは,FBなどで予告編を見させられて,~もしも6500万年前に地球に隕石が衝突しなかったら,恐竜はどうなっていたであろうか。という設定が興味深かったからである。たしかに,もし隕石衝突による中生代末の大量絶滅がなかったら,われわれ人類やほ乳類の進化はしばらくお預けになったかもしれない。では,その「もし」でどんな世界が画かれていたかというと,科学的な考証はほとんどなく,まあ恐竜の子どもと進化の遅れた人間のこどもの友情物語で,ちっとも面白く(気持ちはなごむが)なかった。人間が狼みたいに遠吠えしたり,恐竜(ティラノサウルスも)が,農耕牧畜をしている,ってあり得ないでしょ(林修風)。バックに使われる自然の風景はきれいだったくらいで,大人にはほとんどお勧めできない(大人向けの,とか宣伝しているが)映画です。
 そして,なにが間違っているかと考えてみた。
 まず,恐竜のような巨大化した生物は,地球生物の進化のうえで最終的には絶滅するはずだと言うことである。隕石に衝突と,その後の寒冷化によって絶滅したと考えられていて,多くの動物にとって,寒冷,低酸素の2つが他にも大量絶滅に結びついていることが明らかになっている。われわれほ乳類でも新生代の前半には巨大化していたが,ほんの数100万年前からの寒冷化とともに小型ですばしこいヤツが優勢になる。そう,そのなかで,人類こそ幾多の環境危機を乗り越えて進化した生物なのである。もしも,恐竜が絶滅していなかったとしても,地球の寒冷化はいつかはおとずれ,恐竜に変わってほ乳類が優勢になり,脳が発達した生物が現れることは必然であったように思われる。我々は自らの手で,地球環境を破壊し,絶滅を招かないかを考えるべきである。


2016.03.24

Martian 火星の人

 映画「オデッセイ」(邦題)を見た。近未来のロビンソン・クルーソーものと言えば良いだろうか。ところで,映画館で上映開始前に見させられる予告編が,本編と同系統のものであることをあらためて知った(実は,連休中に「アーロと少年」というディズニーアニメも見て気づいたのだが)。それで,ハリウッド映画がいかに暴力だらけ(予告編は暴力シーンの連続),かとあらためて思った。そのなかで,暴力ものでないアクションヒーローとなると,宇宙ものになるのかなーと,漠然と考えた。リドリー・スコット監督といえば,ブレードランナーやエイリアン,グラディエーター,ブラックホークダウンなどの話題作が多く,SFではオタク的な注目度も高い(でもやはり暴力ものだ)。それにしてもこのところ,ゼログラビティー,インターステラーと宇宙もの(どれも映画として見ものだった)がつづいている。ちなみに,わたし的には「スターウォーズ」はSF(スペースファンタジー)でSF(サイエンスフィクション)に入れていないので悪しからず。
 映画だから現実にはあり得ない世界を面白く描く,でいいのだがどこかに現実とつながっていて,もしも,ホントに起こったら(自分やその生活の不満などを投影してあったらいいな,すごいな)と思わせるところに引き込まれるわけで,その意味のリアリティー(映像として違和感がないの)が映画の醍醐味だと思う。そのあたりが,ウソっぽく感じたら私は見ない。もちろん人によってこの感覚は違う。どれもこれもCGじゃんと思えてしまうか,そうでないかは,ストーリーや話の出来にも関係するから,たぶんリアリティーというのも人それぞれなんだと思う。
 その点この映画は,生き延びるために必要なのは「科学だ」と宣言していて,私の好みである。科学で,ということは,非科学的な部分はないと言っているのと同じだ。ウィキペディアを見てみると,火星の重力が地球の1/4であることの表現や,風速100mを越える嵐の風圧でロケットが倒れる(気圧は地球の1%以下なので)ことなどがインチキだそうである。とはいえ,ひとり火星で農業をはじめたり,水を作る方法の話は良く出来ていると思う。サバイバルとはこういうことかと思う。よく上手くいかないと英語でクソ!(Shit!)と言うが,ホントにクソで生き延びる(ジョークが随所にあって笑わせる)。
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 ゼログラビティーは,宇宙(無重力)といっても地球の衛星軌道上にあって周回している,のだから縦横に移動することが出来ないはずなのに,というウソがあるし,インターステラーもブラックホールに落ちて時空を越えるったって?という荒唐無稽なのだが,映画としては見ものだったし面白かった。それに比べるとオデッセイはほとんどリアルな設定で,おそらく50年後くらいには現実化していそうな話である。小説も読んでみたが,生物や化学の物質量計算など理科の教材になるかもしれない。邦題の「オデッセイ」はそれらしいが,原作のMartian(火星の人)のほうが良いに決まっている。受けないからだろうけど。


2015.11.04

ドラマ「デザイナーベイビー」あるいは映画「ガタカ」

 9月から見はじめて,面白い,とかなり思ったNHKのドラマだ。病院の新生児が誘拐されるという事件の捜査にうってつけと抜擢される刑事は,妊娠8か月でもうすぐ産休。それを黒木メイサが演じるというのは意表をついている。身重なので動きは鈍いが,犯人の心理を読んで鋭い推理でテンポよく見せ場をつくる。それが2転3転するストーリー展開はなかなかスリリングで楽しい。原作が現役の産婦人科医というのもユニークだし,警察の捜査の雰囲気も防犯カメラやNシステムが中心で(相棒なんかみたいに安っぽくなく)現代的。
 タイトルから想像されるように,不妊治療に力を入れている病院で,誘拐された赤ちゃんの出産になんらかの危険な医療操作の疑いが出てくるが,治療を受けた母親や病院関係者が事実を隠蔽しようとするので犯行の動機が謎のまま進んできた。が全8回の後半になってようやくそのあたりが明らかに。白血病の第一子を救うために遺伝子操作した赤ちゃんを人工授精でつくったのだ。事件は医療の先端を極めたい医者の名誉欲と,子どもを親の思い通りにつくろうとする都会人のエゴという雰囲気になってきたが,それぞれの登場人物の立場を考えると事情や想いに感情移入させられてしまうつくりになっていて,これもドラマとして良くできていると思う。昨日の第7回で,こうした近未来の問題が浮上してきたので,同じテーマですでにSFとして評価の高い映画「ガタカ」を思い出した。去年まで理科で生物も教えていたので,DNAのお勉強の後に何回となく授業で見せた映画である。見ていない人には是非お薦めで,へたな道徳教育なんかよりずっと倫理的で勇気づけられる映画だ(概要はこちら)。ちなみに,ガタカはアメリカのNASAが2011年に,SF映画の中で最も現実に近い映画のベストワンに選んだ映画である。出生前診断による親の選択の問題がすでにあるように,デザイナーベイビーはほとんど現実の問題である。最終回は,最後に須佐美医師(渡部篤郎)が,人は運命を引き受けることが大事なんだ,みたいな台詞を言う,とだけ予想している(ハズレると思うけど)。