映画・テレビ

2016.09.20

巨災対

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 シン・ゴジラ。きのう2回目を見てきた。情報量が多く,リピーターがたくさんいるようで,ご多分に漏れず,えっ,そんな場面があったの?と,確かめたく,同じ映画を劇場で2回見たのは初めてのような気がする。

 東京に住んでいる人にとっては,ロケ地というのか,場所がリアルすぎる。多摩川とか蒲田とかほぼ地元と言って良い。また,ゴジラという厄災なのだが,ほとんどの人が地震や原発事故を連想していると思われ,こんな時どうやったら逃げのびられるか,身をもって体験している感がつよい(地下鉄構内も停電するし,車は渋滞し,地方にバスで避難するとか)。

 もう一つは,実際の総合火力演習のごとく自衛隊の火器(対戦車ヘリコプター,戦車,ジェット戦闘機は航空自衛隊)が使われ,その命令場面と政府内閣のやりとりなどが,さもありそうで,いろいろ腑に落ちるように作られていると思う。ツイッターの書き込みや動画サイト,官邸の記者会見をテレビで見せるあたりとか。

 そして,巨災対(巨大不明生物災害対策本部)の知恵とアメリカの圧力とのからみなどが,日本っぽく描かれる。ハリウッド映画だと,とんでもない金目当て野郎と知力に優れた正義のヒーローが最後は力(暴力)の対決になるけど,こちらはみんなで力を合わせ,(和をもって)呉爾羅という荒ぶる神をお酒(ヤシオリ)で鎮めるという図式は,どうも日本的だ。ここまで,2か月近くたっているので,すでにネタバレの問題はないだろう。

 そんなこんなで,久々にエポックメイキングな映画になると思う。この,ブログの初めは,「昭和と怪獣」というテーマからはじめたので,とっておきのDVD>「サンダ対ガイラ」や「妖星ゴラス」をまた見ようかとおもっている。

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2016.07.25

続・秀吉と地震

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 昨日のNHK真田丸で,慶長伏見地震が描かれていた。地震の前に京都に灰が降ったという場面もあって,前に時代考証などいい加減だと指摘したが,結構史実を掘り下げているようで,先の印象を訂正しておきたい。地震加藤が出てこなかった,が,ウィキペデイアによれば,地震加藤というのは,歌舞伎の演目として創作されたもので,これこそ史実ではないそうである。こちらの過ちを訂正します。
 
 NHKBSで放送している,「英雄たちの選択」という番組も歴史を掘り下げていて面白いので録画してよく見ている。先だっては,加藤清正が関ヶ原に参加したら東西どっちについたかと言う話で,そういえば清正の名前が関ヶ原の合戦にないことにいまさら気づいたり。清正がもう少し長生きしたら,九州の大名たちを束ねて,西日本を支配していたかも,とか歴史の面白いイフを示してくれる番組だ。見逃してしまったのだが,天正地震がもし起こっていなかったら家康は秀吉に滅ぼされていたかもしれない,という見解も注目である。

 こうやって,歴史のIf(もしも)が超たくさんあって(地球の誕生や生命の歴史でも)こうやって今いるんだなーと思うと,これからどんなことが起こるのかも,不安ながら楽しみ(面白さ)となるものです。

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2016.04.01

映画「パーティクル・フィーバー」

 IPMUで昨年上映会が行われたドキュメンタリー映画が,NHKのBSで放送された。放送されるという情報を得たのが一昨日だったので,見逃した人も多かっただろう。物理オタクしか見たがらない,ヒッグス粒子発見に至る物理学者たちの奮闘を描いたマニアックな映画である。
 この前の日曜日には,東大安田講堂でIPMUの「梶田教授ノーベル賞受賞記念講演会」があり,これもインターネット中継で見られた。この2月に重力波が人類史上初めて観測されるというニュース,さらに日本のX線観測衛星「ひとみ」が打ち上げられたが,どうも通信が途絶えているとか,物理学や宇宙の謎の解明に関する話題がここ10年くらいラッシュのようになっていると感じる。よく考えてみると,日本人のノーベル物理学賞11個のうち8個が2001年以降のもので,話題に事欠かないのもある意味当然なのかもしれないと思う。
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 何を隠そう,私自身2008年の小林・益川から,この素粒子物理学や宇宙論にはまって(復活して)いる。このことは以前にも書いた。今後,もっとも注目されるのが,ヒッグスの発見以来物理学の標準理論がどこまで正しいかと,超対称性理論(最近出た本)から予言される新たな粒子の発見だろうか。
 簡単にまとめることが出来ないので,関連するURLを再び並べておく。
とね日記
IPMU

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2016.03.27

映画「アーロと少年」

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 「オデッセイ」を見る前に,このディズニー(ピクサー)アニメ映画も見たので感想をと思ったが,なにを書こうか,と考えがまとまらなかった。大の大人が見ようと思ったのは,FBなどで予告編を見させられて,~もしも6500万年前に地球に隕石が衝突しなかったら,恐竜はどうなっていたであろうか。という設定が興味深かったからである。たしかに,もし隕石衝突による中生代末の大量絶滅がなかったら,われわれ人類やほ乳類の進化はしばらくお預けになったかもしれない。では,その「もし」でどんな世界が画かれていたかというと,科学的な考証はほとんどなく,まあ恐竜の子どもと進化の遅れた人間のこどもの友情物語で,ちっとも面白く(気持ちはなごむが)なかった。人間が狼みたいに遠吠えしたり,恐竜(ティラノサウルスも)が,農耕牧畜をしている,ってあり得ないでしょ(林修風)。バックに使われる自然の風景はきれいだったくらいで,大人にはほとんどお勧めできない(大人向けの,とか宣伝しているが)映画です。
 そして,なにが間違っているかと考えてみた。
 まず,恐竜のような巨大化した生物は,地球生物の進化のうえで最終的には絶滅するはずだと言うことである。隕石に衝突と,その後の寒冷化によって絶滅したと考えられていて,多くの動物にとって,寒冷,低酸素の2つが他にも大量絶滅に結びついていることが明らかになっている。われわれほ乳類でも新生代の前半には巨大化していたが,ほんの数100万年前からの寒冷化とともに小型ですばしこいヤツが優勢になる。そう,そのなかで,人類こそ幾多の環境危機を乗り越えて進化した生物なのである。もしも,恐竜が絶滅していなかったとしても,地球の寒冷化はいつかはおとずれ,恐竜に変わってほ乳類が優勢になり,脳が発達した生物が現れることは必然であったように思われる。我々は自らの手で,地球環境を破壊し,絶滅を招かないかを考えるべきである。


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2016.03.24

Martian 火星の人

 映画「オデッセイ」(邦題)を見た。近未来のロビンソン・クルーソーものと言えば良いだろうか。ところで,映画館で上映開始前に見させられる予告編が,本編と同系統のものであることをあらためて知った(実は,連休中に「アーロと少年」というディズニーアニメも見て気づいたのだが)。それで,ハリウッド映画がいかに暴力だらけ(予告編は暴力シーンの連続),かとあらためて思った。そのなかで,暴力ものでないアクションヒーローとなると,宇宙ものになるのかなーと,漠然と考えた。リドリー・スコット監督といえば,ブレードランナーやエイリアン,グラディエーター,ブラックホークダウンなどの話題作が多く,SFではオタク的な注目度も高い(でもやはり暴力ものだ)。それにしてもこのところ,ゼログラビティー,インターステラーと宇宙もの(どれも映画として見ものだった)がつづいている。ちなみに,わたし的には「スターウォーズ」はSF(スペースファンタジー)でSF(サイエンスフィクション)に入れていないので悪しからず。
 映画だから現実にはあり得ない世界を面白く描く,でいいのだがどこかに現実とつながっていて,もしも,ホントに起こったら(自分やその生活の不満などを投影してあったらいいな,すごいな)と思わせるところに引き込まれるわけで,その意味のリアリティー(映像として違和感がないの)が映画の醍醐味だと思う。そのあたりが,ウソっぽく感じたら私は見ない。もちろん人によってこの感覚は違う。どれもこれもCGじゃんと思えてしまうか,そうでないかは,ストーリーや話の出来にも関係するから,たぶんリアリティーというのも人それぞれなんだと思う。
 その点この映画は,生き延びるために必要なのは「科学だ」と宣言していて,私の好みである。科学で,ということは,非科学的な部分はないと言っているのと同じだ。ウィキペディアを見てみると,火星の重力が地球の1/4であることの表現や,風速100mを越える嵐の風圧でロケットが倒れる(気圧は地球の1%以下なので)ことなどがインチキだそうである。とはいえ,ひとり火星で農業をはじめたり,水を作る方法の話は良く出来ていると思う。サバイバルとはこういうことかと思う。よく上手くいかないと英語でクソ!(Shit!)と言うが,ホントにクソで生き延びる(ジョークが随所にあって笑わせる)。
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 ゼログラビティーは,宇宙(無重力)といっても地球の衛星軌道上にあって周回している,のだから縦横に移動することが出来ないはずなのに,というウソがあるし,インターステラーもブラックホールに落ちて時空を越えるったって?という荒唐無稽なのだが,映画としては見ものだったし面白かった。それに比べるとオデッセイはほとんどリアルな設定で,おそらく50年後くらいには現実化していそうな話である。小説も読んでみたが,生物や化学の物質量計算など理科の教材になるかもしれない。邦題の「オデッセイ」はそれらしいが,原作のMartian(火星の人)のほうが良いに決まっている。受けないからだろうけど。


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2015.11.04

ドラマ「デザイナーベイビー」あるいは映画「ガタカ」

 9月から見はじめて,面白い,とかなり思ったNHKのドラマだ。病院の新生児が誘拐されるという事件の捜査にうってつけと抜擢される刑事は,妊娠8か月でもうすぐ産休。それを黒木メイサが演じるというのは意表をついている。身重なので動きは鈍いが,犯人の心理を読んで鋭い推理でテンポよく見せ場をつくる。それが2転3転するストーリー展開はなかなかスリリングで楽しい。原作が現役の産婦人科医というのもユニークだし,警察の捜査の雰囲気も防犯カメラやNシステムが中心で(相棒なんかみたいに安っぽくなく)現代的。
 タイトルから想像されるように,不妊治療に力を入れている病院で,誘拐された赤ちゃんの出産になんらかの危険な医療操作の疑いが出てくるが,治療を受けた母親や病院関係者が事実を隠蔽しようとするので犯行の動機が謎のまま進んできた。が全8回の後半になってようやくそのあたりが明らかに。白血病の第一子を救うために遺伝子操作した赤ちゃんを人工授精でつくったのだ。事件は医療の先端を極めたい医者の名誉欲と,子どもを親の思い通りにつくろうとする都会人のエゴという雰囲気になってきたが,それぞれの登場人物の立場を考えると事情や想いに感情移入させられてしまうつくりになっていて,これもドラマとして良くできていると思う。昨日の第7回で,こうした近未来の問題が浮上してきたので,同じテーマですでにSFとして評価の高い映画「ガタカ」を思い出した。去年まで理科で生物も教えていたので,DNAのお勉強の後に何回となく授業で見せた映画である。見ていない人には是非お薦めで,へたな道徳教育なんかよりずっと倫理的で勇気づけられる映画だ(概要はこちら)。ちなみに,ガタカはアメリカのNASAが2011年に,SF映画の中で最も現実に近い映画のベストワンに選んだ映画である。出生前診断による親の選択の問題がすでにあるように,デザイナーベイビーはほとんど現実の問題である。最終回は,最後に須佐美医師(渡部篤郎)が,人は運命を引き受けることが大事なんだ,みたいな台詞を言う,とだけ予想している(ハズレると思うけど)。

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2015.10.13

ブラタモリ「富士山」

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 ブラタモリはすごい。第1回シリーズから見ているが,日本地理学会が番組を表彰したとおり地理屋にはたまらない内容である。タモリがお昼の生番組をやめて,現在のシリーズから全国を回り始め,自分がまだ行ったことがない土地でも,行ったことにして良いくらい,へーそーだったんだという疑似体験感が強い。で,とうとう富士山にまで。富士山だけで3回シリーズで1回目しか放送していないが,何がすごいって,火山学の小山さん(静岡大)の案内でスパターだの教わりながら富士に登っていること。これは,専門の地質学巡検をバラエティー番組で放送しているということである。
 小山真人さんは,群馬大学の早川由起夫さんと並ぶ,日本の火山学の第一人者である。このお二人は岩波新書の「火山の話」という名著を生んだ東大の中村一明さん(故人)の弟子である。実は,私も大学時代に中村先生の講義を聴いたことがあり,当時から鋭い指摘をつぎつぎにされる方であったが,惜しくも50代でなくなられてしまった。火山学というのは大地の変動を扱う地球科学の中でもっともバラエティーに富んだ現象を,洞察力によって明らかにする分野だと思う。私は彼らの説明を聞いていて,なんとなくカッコイイと感じる。
 それで,この3連休(体育の日)の後半はようやく新月期に晴れ間が期待できたので,新しい赤道儀(望遠鏡)で写真を撮りに富士山麓へでかけた。帰路は富士宮をまわって,今回のブラタモリに出てきた浅間大社をお参りしてきた。土日の雨で初冠雪となり,テレビではぜんぜん見えずだったが(ブラタモリのロケは天候不順が多いみたい),バッチリ快晴に恵まれてきれいでした。世界遺産に登録されている山宮遺跡の富士山遥拝所からも拝むことができるのは珍しいのじゃないかと。この写真はほんとラッキーでした。
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2014.12.30

映画「インターステラー」

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 映画「インターステラー」を見てきた。第一印象は,面白かったけれど現時点では理解されにくいだろうな。主人公クーパーは,宇宙SF映画として評価の高い「コンタクト」で宗教家の役を演じたマシュー・マコノヒー(あんまり知らない)である。コンタクトでは長髪だったし,今回は元宇宙飛行士(エンジニア)として登場し,一見ライトスタッフのイエーガー(サムシェパード)の雰囲気なので,ネットで調べてわかった。なんか,この2つの映画(コンタクトとライトスタッフ)を重ねて連想するのは私だけではないと思うような第2印象。また,前回書いた「ノア」同様,野外ロケ地がアイスランドというのは私にシンパシーを覚えさせる。そして,今年のアカデミー賞宇宙もの映画「ゼロ・グラビティー」よりかもっと重力がテーマになっているのは,宇宙物理オタク的傾向からは歓迎したい。超ひも理論は出てこないが,相対論や物理学の謎を解き明かせば人類を救う(言い忘れましたが,テーマは悪化した地球環境から人類がどうやって生き延びるか,その名もラザロ計画)ことが出来るというのは,想像力をかき立てます。

 変な話ですが,脳科学的にヒトの意識とか精神(愛とか倫理といった崇高な面)がどうやって生まれ,また脳のどこにあるのかは解明されていません。愛なんて子孫を絶やさないための本能的な無意識を意識化させたものに過ぎない(という途中にクーパーの台詞あり),とか言ったとしても多くの人は納得しないでしょう。それと霊的な経験も科学的には解明されていませんが,これらを実際に解明されていない物理学の事象に結びつけるのは自然なことではないかと私は思っています。例えば,黄泉の国とか霊界というのが実際に在って,現在の私たちには認識できない異次元(物理的に想定できる)にあるという想像です。これが,インターステラーのもう一つのテーマです。「愛は時空を越える」と予告編にもあります。いろんな伏線が解けていく過程で親子の絆とか愛に(ネタバレですが,親子の年齢の逆転とか)感動してしまうので,つじつまの合わないことなど気にせず見られると思います。
相対論とかワームホールがホンマかいな(あるいは意味不明)という人もいるようですが,大栗さんの話なんかとけっこう整合性のあることを描いていたと思います。例えば,ブラックホールに近づくと事象の地平線,すなわち重力が光の脱出速度を超え,時間が止まるという特異点に到達してしまいますが,それを越えたらどうなるのかというのは,現在の理論では説き明かされていないわけで,こういうのはこの映画のようにもっと物語のしかけとして使われていいと思います。終わり近くの本棚のシーンは,まるで空間や次元や重力が幻想である(大栗博司著ブルーバックス「超弦理論入門」参照)のような映像で,私には納得がいくものです(なんて偉そうに)。最後に,宇宙はやはりパイオニアであるというメッセージが込められていたと思います。約3時間は長いですが,なかなか良い映画でおすすめだと思います。

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2014.07.07

生物の大量絶滅と人類滅亡 (映画「ノア」を見て)

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近年の地質学的世界観には,いわゆる過去5回の大量絶滅,その一つが有名な隕石衝突による恐竜の絶滅で,同様に人類をも滅ぼしかねないような地球環境の大変動,すなわち「天変地異」が織り込み済みである。その昔「天変地異」または「激変説」は,化石のような絶滅種の存在理由を,聖書の記述(ノアの洪水)と整合性をしめすのに都合のよい考え方として受け入れられた。当時キュビエという比較解剖学の権威がもっぱらその態度をとった。ダーウィンの進化の考えが現れるしばらく前のことである。

地質学の基本概念に「現在は過去を解く鍵」というのがある。長い間地表の様子は過去にさかのぼっても同じ物理化学状態が保たれており,地層に残されたさまざまな痕跡は現在の地球上で生じている現象を外挿すれば解読可能だ,という考え方だ。これを「斉一説」という。「斉一説」に対し「天変地異説」はガラガラポンで,過去とのつながりを断ち切ってしまうから,何でもありの議論になって,それでは連続性のある歴史を編むことができない。そこで,地質学は,ハットンやライエルといった人たちが「斉一説」を採ることからはじまったという経緯がある。これを教条としたライエルの「地質学原理」を読んだダーウィンが進化論を唱えることになる。つまり一旦,地質学からノアの洪水や「天変地異」は否定されることになる。

なにやら,七面倒くさい話を始めてしまったが,映画「ノア」を見てきて,まとめてみたくなった。ノアの評などについてはいろんなブログなどを参考にしていただきたいが,この映画では,いろいろ聖書の記述ともちがったラッセル・クロウ演じるノアが「洪水によって人類は滅ぼさられなければならない」という使命を全うしようとする。聖書では,箱船に乗る人間はノアとその妻,息子のハムとセムとヤフェトのそれぞれ妻の計8人なのだそうだが,それを無視して,大嵐が収まってからも人間だけは配偶できないように,というノアと,そんなのいやだという息子たちの青春との葛藤をえがいたお話なのである。で,他の動物たちは,皆つがいで無数の鳥,ほ乳類,それから,爬虫類や昆虫までぞわーっと乗り込んでくる。このシーンは圧巻で荒唐無稽で面白かったけれど,生態学的に考えてみれば,他の生物が根絶やしになった世界で,種のたった一つがいが生き残ったとしても,増殖できるものではないとあらためて思わされた。だから,これはもともとたとえ話,メタファー(暗喩)として考えるべきなのだ(以前はノアの洪水で残った生物が今も変わらず存在するという原理主義にたいして,パンダやコアラも乗せたのか?と聞きたくなったものだが)。

さて,実際に起こった大量絶滅という過去5回の「天変地異」だが,中生代の終わりの6550万年前の隕石衝突,古生代の終わりの2億5000万年前の大陸分裂にともなう火山活動と海洋無酸素事件などはその原因もほぼ確定している。その他でも,9割近い生物が一度に絶滅したことは確かで,近くの恒星のガンマー線バーストによって,大気中に放射線が降りそそいだことが原因などとも言われている。だから,暗喩だとしてもノアの洪水のような天変地異は起こりうるんだよ。というメッセージは間違っていないどころか正しいのである。約7万年前のインドネシア,トバ火山の破局的噴火で,ホモサピエンスは一度絶滅に瀕したことがあるという説すらある。

そして,原罪というテーマの普遍性も無視できない。人間(ヒト)はいつから自己保存のために同族(ヒト)同士が戦い,殺戮を犯す攻撃性を身につけたのだろうか。こう書くと宗教者みたいかもしれないが,現実的な問題として,核開発や原発,廃棄物汚染,たえない紛争やテロなどジェノサイドや難民が発生する要因を人類がいまだに作り続けていること。さらに,人口爆発とエネルギー食糧問題もふくめて将来どうなるのか。引き金となるような火山噴火や太陽活動の異変によって,急激な寒冷化などの気候変動でいつでも大量絶滅(破滅的連鎖)が起こる可能性はある。ダーレン・アロノフスキー監督の「ノア」にこういったメッセージを私は見てしまった(しかし,全世界洪水というのは地球システム論的にはありえない,地球上の水の量は限られており,数千mを越える海面上昇は無理だ→参考=海の水を玉にすると)。考えてみれば,最後の人類(あるいは滅亡後の人類)を想定して描かれるスペクタクル(SF・パニック)映画は数え切れないほどあるのではなかろうか。

そして,はじめから映画の風景に引きつけられた。舞台となっている荒野の風景が中東の砂漠ではなく,緑のマット植物におおわれたツンドラおよび黒い玄武岩質の,曇り空で寒そうな荒原なのである(古代のわりに衣装がなんとなく現代的)。これは絶対アイスランドだと思った。見終わってパンフレットを買ってロケ地を確認すると当たりだった。以前その名も「アースウォッチ」という団体のアイスランドでのボランティア活動に参加したときの印象が甦って懐かしかった。堕天使で番人(ウォッチャー)という石でできた怪物が登場し,箱船を作るノアたちに加勢するというのは,まあ愛嬌かと思う。ノアの奥さん役のジェニファー・コネリーは,ラッセルクロウとアカデミー賞作品の天才ノーベル賞数学者の物語「ビューティフル・マインド」と同じ顔あわせなのも親しみやすく,スペクタクル映画の割に,ノア一家の人間ドラマを結構ハラハラしながらじっくり見ているうちに2時間が過ぎてしまう面白い映画でした。

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アイスランド,スカフタフェトル国立公園にて

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2013.07.27

風立ちぬ

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 ウィキペディアによれば,宮崎駿自身,「零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は,コンプレックスで凝り固まり,何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を,愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。」と述べているそうだ。
 そうは言っても私の父の世代の特に男性なら,日本が戦争に負けるはずがないという刷り込み(小中学生時代)と戦後その皇国史観に騙されていたというコンプレックスに対して「零戦」を,誇りにして生きていくのは当然だという思いがわき上がってきて,父親を思い出すと涙が止まらなくなってくる映画だった。小学校にあがる前くらい,はじめて父が買ってきたプラモデルが零戦だった。はじめはボンドでべとべとにしながらその後も,何回となく作った日本の零戦のカッコよさに比べ,対抗するアメリカのワイルドキャットとかヘルキャットの不細工な形を見て(コルセアは作った覚えがある)こんな日本が負けるはずない,と私ですらすり込まれたような気がする。30年も前にミュンヘンのドイツ博物館で実物大のメッサーシュミットとゼロ戦が展示されているのを見たときは感激した。当時,日本にゼロ戦の実物大の展示がほとんどないのは軍国的な歴史認識を目立たせなくするためかと疑ったものだ(現在は上野の科博や靖国神社で見られる)。
 この映画では,大正の関東大震災のようすが描かれているが,その絵コンテができた直後に3.11が発生したそうで,宮崎氏もどう表現するか悩んだそうだ(「風立ちぬ」パンフレットより)。とてもリアルというか防災的に参考にしたくなる映像でもある。その他,当時の町並み家の作り,SL,それから「シベリア」というお菓子を買うシーンなど,シニア世代にはたまらなくなると思われる大正から昭和の日本の美しい映像にあふれていて,子どもに見せるのはその意味で正解かも。是非,お孫さん(曾孫?)と一緒に,とお薦めしたい映画だ。
 映画の帰りに夜空を見上げると,都会の明かりにどす赤く染まった曇り空。トトロにも出てくる月明かりの夜空の澄みわたるような雲の表現を思い浮かべ,やはり宮崎駿を日本の誇りにしていいと思った。

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