日記・コラム・つぶやき

2018.04.05

昭和は遠くなりにけり(松本清張「点と線」)

NHKEテレでやっている100分で名著を毎回録画している。人生、本を読みたいと思ってもそうたくさん読んでる暇もない。読書の時短にうってつけの番組だと思う。先週まで松本清張を取り上げていた。社会派ミステリーの大御所。新聞か何かの文芸欄(忘れた)かで、清張のような作家は現在存在しないという指摘を目にしたが、個人的には高村薫がいると思う。
 
それで、テレビの録画をするときに目についた番組もついセットしてしまうのだが、BS朝日で松本清張ドラマ「点と線」2部一挙放送というのが目に入ったので録画してあったのを、昨日見た。

点と線は高校生のころに読んだ。あの頃は、昼休みに友達とサッカーとかバカふざけをするのも飽きて、図書館に行って読めそうな本を読んでいて、松本清張全集を手にしたのだった。たしか、点と線、砂の器、球形の荒野あたりを読んだ気がする。今ではこれらの内容が断片的にごっちゃの記憶になってしまった。

点と線は、要するに容疑者のアリバイトリック崩し、で今となっては古典的ともいえる話で、列車時刻表と飛行機がカギになる話として清張の代表作とされている。

意外なことにウィキペディアを見ると映画化(1958年)、テレビドラマも2007年に一度きりしかされていない。その2007年のビートたけし主演のものを見たのである。砂の器とか黒革の手帳のように何度もテレビドラマ化されていなかったのである。

2時間半近い長編で、なかなか重厚な作りだった。

そして、あらためてこの小説は、アリバイ崩しがメインではなく、これぞ政界官界の汚職疑獄事件もの、の原点ではないかと思えたのである。自殺者をだしても、知らん顔を決め込んでいる、まったく今の安倍疑獄、麻生の官僚切り捨てのストーリーそのままである。なんと、昨日だかNHKが明らかにした、口裏合わせのお願いシーンや、事務官がわざとらしくアリバイの証拠を警察に知らせにくるるなんていう嘘の上塗りも出てくる。

ただし、警察トップへの捜査圧力などにもひるまず捜査課一丸となって犯人を追い込んでいくところは、おそらく今なら、完全に忖度が前提であり得ないだろう。あるいは、大臣の江守徹の貫禄(名演だ)といい政治家も腹が座っていて安倍や麻生とは大違いだ。

テレ朝は、いま放送すべきだと考えたのかもしれない。

同様に話題になっているペンタゴンペーパーという映画も見てみようか、と思う。


それと、出演者のそうそうたる顔ぶれが、宇津井健、池内淳子、市原悦子、橋爪功、平泉成、小林稔侍、江守徹など。
これは昭和だと思った。この10年で亡くなった人もいる。無論、清張こそ昭和(戦争を引きづっている)だが、こういうTVドラマはもう作られないだろうなと思いつつ、昭和は遠くなりにけりと感じたのでした。

2018.02.24

銀河鉄道の父

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歳をとったせいもあるが、小説を読んでこんなに涙が止まらなかったのは初めてだった。親が子どもを思う気持ちに満ちた小説というのも、ありそうでなかったかもしれない。祖父から質屋に学問は必要ない、と家を継いだ父は息子には甘かった。というか自分の夢を託したのだろう。このあたりの機微を小説にしてしまったのがうまいと言えばうまい。
元祖地学オタクである宮沢賢治。専門は土壌学や化学だったとは言え、天文や岩石鉱物、地質の知識は当代一流のレベルだと思う。国立天文台の渡部潤一氏には「星空紀行」と題した宮沢賢治のエッセイがNHKのコズミックフロントのウェブページにあり、地質調査所地質標本館の加藤碵一氏には「宮沢賢治地学用語辞典」という著作まである。
子どもの頃に童話を読んだ覚えはないのだが、よだかの星などは梅原猛の「地獄の思想」で感銘をうけた。銀河鉄道の夜のプラネタリウム番組もDVDを買ってもっている。
直木賞と一緒に芥川賞をとった、若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(永訣の朝の一節)も読んでみることにした。

2018.02.18

半分生きて、半分死んでいる

また,新しく養老先生の本が出た。そのタイトルが半分生きて,半分死んでいる,である。量子力学の解釈に「シュレディンガーの猫」というのがあって,そこに猫が半分死んでいて,半分生きている,というたとえ(解釈)があって,何か関係があるかと思ったが,別に物理学の話は出てこなかった。51salgzgm0l_sx306_bo1204203200_


相変わらずというか,完璧に養老イズムがまとめられている。前作「遺言」からさらに煮詰まった感じだ。最後の方で「平成を振り返る」という章があって,平成とはすべてが煮詰まった時代、とある。養老さん自身もオウム真理教事件が東大をやめるきっかけになったそうだし,9.11の同時多発テロ(忠臣蔵みたいなものだという)以降,世界は信じるに足らなくなった(まじめに報道を信じる方がバカ)という。
様々な政治家の暴言失言や,企業の不祥事など,すべて言葉によって社会脳が構築したシステム内でおこることであって,現に存在するものや個々に注目しなくなったからだという。
これからどうするか,「現代社会から外れている人に注目したい」そうである。私はこの言葉に救われる方の人間である。

2017.12.30

そろそろ人工知能の真実を話そう

 ジャン=ガブリエル・ガナシアというフランスの情報学者が書いた本(早川書房)である。養老先生の「遺言」に紹介があったので買って読んでみた。よかった。AIが将来人間を超えて、地球を支配するというシンギュラリティは、単なる妄想にすぎないということが書いてある。シンギュラリティというのは、特異点など訳せるが、最近ではコンピューターの進歩がある一線を越えて、新たな世界が到来する(だいたい2045年ころ)というAIシンパの脅しみたいなもののことだ(という認識をこの本を読んで知ることができた)。

 情報学者というと、数学や理論的な説明を連想するが、シンギュラリティというのがそもそも理論的に裏付けられておらず、むしろ思想とか文化的な背景から生じてきたことを歴史学者的に説明している。未来がある時点でガラッと転換する(世界)というのは、昔から一神教(ユダヤ教キリスト教)のなかにくすぶってきたグノーシス主義(人知主義)と同じものだというのだ。また、議論自体が科学的に検討されているものではない、ことも強調している。

 結論から言うと、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト(これをGAFAMと略すそうだ)などのグローバルIT企業にとって都合のいい宣伝(やはり脅し)にすぎないということだ(訳者のあとがきだけ読んでも大まかな内容がまとめられているので、立ち読みされるといいですよ)。

 そもそもコンピューターが人間のような意識を持つことができるか、といえば、養老さんが言うように、意識というものすら人類は理解するに至っていない。脳をコンピューターと考えることが浅はかといっている。
 意識の特徴には眠るということも含まれているだろうし、脳の機能や大脳皮質がどうやって活動しているのかわからなければ、単にコンピューターが機械学習を始めたからと言って、意識を持つはずがないのである。

 AIが、将来人間の上に立つ、というのは幻想です。この脅しにのらないために一読をお勧めします。

 
 

2017.12.11

大河ファンタジー直虎

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NHKの大河ドラマが、ほとんど史実を反映しなくてよくなったのは(元々からとも言え)江~姫たちの戦国あたりだろうか。今年の直虎は、結構面白かった。前半はあまり見ていなかったのだが、途中からドラマとして見入ってしまった。特に、今川ってすでに桶狭間で消えているんじゃないの?というあたりから、井伊といえば彦根城だし、みたいな歴史好きにもすこし隙間を埋めている感じで引き込む要素があったと思う。
 
 徳川家康の描き方も去年の真田丸あたりで、認知されていたのもあってあまり違和感がない。柴咲コウや高橋一生の演技も注目を引いた。先週の「自然」君など唐突でも、ドラマツルギー、ストーリーテリングにはまってしまった。精霊の守り人よりファンタジー感のある、大河ドラマだったと思う。

2017.11.30

養老孟司「遺言」

 養老先生久々の書き下ろしだそうで、出たての本。早速kindleでダウンロードして読んでみた。ところどころ難解な部分もあるが、今まで書かれていたことを、丁寧に説明してくれているという印象も強い。人とは何か、意識はどこまでわかっているのか、など普通の人が考えないことをいつも考えてくれる強い味方だと思うのは、いつものことだ。

 人(生物としてのヒト)の認識が、特異なものではないか、と養老先生も言っている。言葉を使うのはヒトだけ。言葉とは、抽象化であり、感覚を無視していろいろな違いを同じにする能力(作用、傾向)で、それがヒトの特徴。その担い手はヒトの意識というもので、意識は無くなることも多いくせに(眠っている間とか)、同一性を持ちたがる。この辺は、もう少し説明してもらいたい感じだが。記号化、情報化、グローバル化などみんな同じにしようとする力だ。これに対し、感覚、動物には同じにするなど考えもよらない。もちろんヒトも感覚的には、差異を読み取ることができる。現在は、感覚対意識の問題がいたるところに噴出しているという。
 
 なるほど、トランプ現象やイギリスのEU離脱、安倍支持などみな理屈ではない感覚の重視かもしれない。

 だから、田舎で違いの分かる感覚的生活を取り戻した方がいいのだが、どうしてもみんな都市に住みたがるようだ。

 うまくまとめられないが、意識とは何か、いかに変な傾向があるかをもう一度意識?するべきです。という内容でした。

 

2017.11.23

監視社会

 もう30年も前だが、はじめて行ったヨーロッパ旅行のときに、当時の東ドイツベルリンの大使館勤務だった中学以来の友人のところに立ち寄った。ソ連崩壊の前である。友人は東側(社会主義国)がどんなにひどい状況なのかを切々と説いてくれたが、例えば、こんな下っ端の日本の役人(自分)まで、毎日行動を監視されているというのだ。いつも、官舎を出るときに、ドアに封印(開けたら落ちるしかけだった)をしておくと、帰った時に誰か侵入したかわかるのだが、毎回誰かが入っているのだと言っていた。
 信じがたいので、友人のストレスや精神状態のせいで言っているのかとも思ったが、西ベルリンのチェックポイントや地下鉄を体験したりするうちに、社会主義国の体制というのを実感した思い出がある。中国北京に初めて行ったのも天安門事件の翌年で生々しい事件の痕(広場の焼け焦げ)を見た。しかし、90年代にはベルリンの壁とともにそういう体制は崩壊したかに見えた。

 自分らの若者時代というのを考えると、社会主義は真の平等や皆が対等で自由な社会の象徴でもあった。それはベトナム反戦運動やヒッピームーブメント、ビートルズや長髪という若者~学生運動とつながっていた。無論、失敗だったとしても、それは権力の闘争や、反体制勢力を押さえつけるために行われた結果だったろうし、考え方としては未来の自由な人間性の回復を意味していたと思う。なにしろ2度の世界大戦の反省に成り立っている時代なのだから、と。

 ところが、では自由資本主義のほうは良い方向に向かってきたかというと、世界中に再び暗雲が忍び寄っているような状況である。なかでも、昔はなかったインターネットのような高度情報化社会で世界中の人がつながっているにもかかわらず、ということ。
 これも、90年代にインターネットが登場したとき、それまでの音楽(ロック)のようなメッセージはインターネットによってもっと広く正しくいきわたるのではないかと、ロッキングオンに書いてあったと思う。

 最近の若い人たちを見ると、偏見かもしれないがどうも堅苦しそうな気がしてならない。なんか馬鹿をやらない、どうしてみんなリクルートスーツ(黒)をきてるんだ、東大生の60%が自民党支持だって!?。
 
 安倍政権に対し、真っ先にNo!というのが、私らから見た若者のはずなのであるのだが。

 社会主義が監視社会をもたらすどころか、共謀罪の成立した日本で2年後にオリンピックが開かれる。政府はテロ防止のためと言っているが、秋葉原で安倍さんに対して「帰れと」やじった人たちを共謀罪で逮捕しろというツィートに自民党議員が「いいね」したという。

 何が問題なのか考えている。

2017.11.21

記録と記憶

 映画ブレードランナー2049を見て、記憶と記録の問題が出てきて考えた。近未来、どうも記録を消すことが大事になっているらしい。なんと最近の、森加計問題に酷似しているではないか。あるいは、パラダイスペーパーとか、記録が富裕層を脅かしている。そして、主人公の記憶が埋め込まれたものか否か、が分かりにくくすこしイライラさせられる。

 NHKの海外ドキュメンタリーで、実際、記憶の書き換えができるというのをやっていた。冤罪などの例や、それによって、心的外傷を取り除くという応用まで。最近の時代劇の奉行所ものを見ると、江戸時代の方が記録をたどる場面が目立つ。歳をとって、過去を振り返ってみると、よく覚えていないことは、もちろんのことだが、たくさんある。記憶力の問題だし、嫌な記憶は自然に消えていく。忘れたくない思い出もあるが、少しずつ消えている気がしてきた。これは、忘れたら存在しないということを意味している。日記を書くという習慣は大事なのかもしれない。

 問題は、コンピューターとデジタルデータだ。グーグルのストリートビューもすごいが、監視カメラのデータの保存量がほんとに膨大になったのだろう(クラウドにしてるのか)。スマホのデータも知らぬ間に吸い取られているわけだし。ほんとにこのようなビッグデータをとっかえひっかえ意図的に操作させられたら、いくらでも個人を冤罪で犯罪者に仕立て上げられるように思う。最近のフェイクニュースもほんとに危うい。フォトショップを使えば簡単にインチキ証拠写真だって作れるだろう。

 あーくわばらくわばら。

2017.11.16

ブレードランナー2049

 SF映画の傑作のひとつと言われているし、前作の近未来の雰囲気がすごくて、見なくてはと思った映画を見てきた。ストーリーは続編なので、前作は見ておきたい。その1982年の前作で描かれていたのは2019年だったそうで、今回は2049年30年後だ。前作で印象的なロスアンゼルスの雨が降り続く中うどんを食べるシーンと同じ雰囲気、は健在で、それと音楽や廃墟のシーンに惹かれた。ストーリーより未来に行った気分を楽しむ映画だと思いました。

 あと30年で、車が飛ぶ時代にはなりそうにありませんが、ドローンによる監視社会も怖い気がします。ホログラムの彼女は、あと20年くらいで実現するんじゃないでしょうか。彼女の着ていた黄色いビニールの上着がほしいと思いました。レプリカントは、まあクローン人間というところで50年後くらいにはありえますね。いずれもディストピアが近いという気がするのは、みんな感じているんだなと思いました。

2017.11.15

南多摩の思い出③

 高校から大学生にかけて、70年代の後半であるが多摩ニュータウンはさらに開発を続けていった。造成地をみるのが当たり前だったし、造成地で遊んだり、地学の授業で化石堀りもしたし、仮面ライダーのような戦隊もののロケもよく行われていた。子供はどこでも遊び場にするが、刻々と変化する造成地は、飽きるほどたくさんあり、変化していった。そして、尾根幹線を超えて南側には手つかずの多摩丘陵の姿(谷戸地)が残されていることにも気づいた。そういうドキュメントタッチの姿を気まぐれに写真に撮っていただが、ネガを紛失してしまい惜しいことをしたと思っている。

 初期のころは、商店街にまずまずの活気があった。ただし、ちょっとした買い物、例えばレコード店などは聖蹟桜ヶ丘まで行かなくてはならなかったし、普通の街にはたいていある金物屋(工具などもそろえた)もなかった。成人式をむかえたころ、皆で新宿の高層ビルの中のパブに飲みに行こうとかなんとか言っていのを覚えている。ここは田舎であるという意識はずっとあり、当時目黒区にあった大学まで1時間30分かかって通うのが億劫だった(91年に南大沢に大学の方が引っ越してきたが)。

 80年代の後半からあとは独立して実家を離れたので、どんな変化があったのかはよく知らない。調べてみると、89年に多摩センターに「そごう」が開店して、2000年に閉店している。このことを見てもあまりぱっとした地域ではないと思う。しかし、それから、かれこれ十年以上たってずいぶん様変わりしていたので、びっくりしたというのがこの感想になっています。もう一度住みなおそうかな、とおもったり。21世紀というのが子供のころには未来に思えたの、それがそろそろ20年もたつという、時の流れを実感することが最近多いです。

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