日記・コラム・つぶやき

2017.09.23

世代ギャップ

 安室奈美恵の引退宣言を聞いて考えてしまった。学校で今の生徒に聞くと,安室奈美恵を「知らない」という反応もあった。おそらく,朝のニュースで親が反応したのを見て何事かと思ったのではないかと。

 90年代というのは,世の中が平成になった時代だと思う。2001年から21世紀だが,それが平成13年。数えになっているから,+17年つまり2018年,来年で平成30年になる。そう思うと自分の青春時代70年代からは要するに半世紀となるわけだ。そんなのはいわば,時間がたったという当たり前のことではあるが,長く生きた方からすると感慨深い。

 考えたすえの結論は,20年というのはあっという間で,ほとんどがらりといろんなことが変わるということかな。20代だった人は40代になり,40代だった人は60代になる。年齢相応がターゲット(よく言うアラフォーとか)になっていることがらは,20年すれば完全にずれると言える。

 よく一世を風靡というが,それが音楽とかテレビ番組とか,もう人によって違いすぎて話が合わない。逆に,不易というか,ビートたけし,ユーミン,くらいしか思いつかないが,息の長いタレントやアーティストもいる。ユーミンは現在63たけしは70歳だ。21世紀になってすでに17年。オリンピックが56年ぶりに行われる2020年まで,平和でおだやかな日々は続くのだろうか。

 

2017.09.20

アナログ

 たけし,つづきなのだが,ビートたけし(北野武)が恋愛小説を発表したそうだ。→こちら
 さすがに多才というべきだが,題名の「アナログ」について,「スマートフォンは嫌い。IT産業が世界中の人間に手錠をかけたと思ってる。便利だけど、貧富の差が開いたことへの影響も感じる。なるたけアナログで行きたい」と答えている。同感である。
 サピエンス全史のハラリ氏も,少なからず将来GoogleやAmazonのようなIT企業が世界中の人々の個人データ(知能や性格まで)をデータとしてもつことになると指摘している。理由は小学生にも分かるだろう。スマホはなるべく使わない方が良い。

 小田嶋隆が書いているように,昭和50年代まではさまざまな団体の住所録を集めて売っていた。生徒名簿,会員名簿などの住所が漏れたとしても,DMが手書きであった時代にはだれも個人情報の流失などと騒ぐこともなかったのである。90年代までは,パソコンだってなかばおもちゃみたいなものだったし,インターネットだってこのniftyのフォーラムとかに入って情報を交換するくらいだった(5年も続かなかった気がするが)。デジタルが今のように席巻しまくるようになったのは,たぶん半導体の加速的進歩でより速く,莫大なデータを扱えるようになったためで,だからといって世の中(世界というか自然界)が変わったわけではない。はっきり言って2000年代から余計な仕事がどんどん増えていったと思う。いつも言ってるが,コピー機もなく,ガリ版ずりの謄写版の時代は,プリントなんか滅多につくっていなかった。そろそろ紙ベースの情報さえ無くなりそうだが,結果として誰もが馬鹿になっていくだろう。

実際,この世の中はデジタルで記述できるはずがない。どんな大きさだって,1,2,3‥‥と区切られておらず,定規をあてれば,何処までも誤差がつきまとう実数(意味分かります)なはずである。ちょっと前まではCDはデジタル化しているから音質が損なわれていて,レコード(アナログ)の方が良いに決まっている,と言っていた(90年代前半くらい)ものだ。

 そのことを,知らない世代というのが,ほんとに言うとちょっと怖い。子どもには,なるべく自然から直接受けとる感性(センス)を育てて欲しいものである。昔は,物理の授業で,誤差の測定というのを最初にやったのだけれど,ほんとそれって何よ,としか今の人は思わないだろうな。やはり,ちょっと怖いと言っておこう。

2017.09.17

昭和歌謡

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 NHKBSのたけしのこれがホントのにっぽん芸能史「J-POPvs昭和歌謡」を見た。このシリーズはどれも面白い。ただ,コミックバンドの回で,ビジーフォーが出てこなかったのが解せなかった。それはさておき,多くの人(中年以上)は,音楽は昭和を(それ以外でもだが)懐かしがるのではないだろうか。単に懐メロというだけでなく,単純に言えば,メロディーも歌詞も,インパクトもすでに実験済みで,平成の音楽は昭和か何らかのパクりか,気まぐれでしかない気がしてくる。

 この番組でも,結論はおなじで,とくにアイドルの発生パターンは,70年代の中三トリオ(森,桜田,山口)の出現を,80年代に松田聖子が踏襲した路線が,2000年代のモー娘からAKBへバトンに酷似している。また,平成の小室哲哉プロデュース(安室,華原など)は,宇多田ヒカル(母藤圭子)の昭和回帰によって終わった。みたいな解説は面白かった。

 どっちにしても,平成が来年で30年。21世紀も17,8年になるということをつくづく感じた。イチローが大リーグで3000本もヒットを打ってしまったんだから,時はそれなりに過ぎているのである。自分にとっては,子どもから青春時代の思い出が一番で,仕事とか大変な頃の音楽なんてぜんぜん知らない。けれどこういう番組をやってもらうと,いろいろ時代というものを考えさせてもらえる。振り返ることも,とてもためになる。とつくづく思う。


2017.09.02

人間ドック

 今週は人間ドック,に行った。毎年のことで職場の健康診断を受けずに行き始めて11年目になったようだ。5,6年前からメタボリックシンドロームという診断。別に問題だと思っていない。先月だか亡くなられた日野原重明さんの「生活習慣病」という言い方が気に入らない。生活習慣ていうのは誰にもあるものであって,それが良いか悪いかは明言せずに,単に私の生活習慣が悪いというべきだと思うのだが,分かりますか。毎日ウィスキーまたは焼酎(1合)の晩酌が生きがい,という人は世間にごまんといるはずである。良いも悪いもないだろう,それが俺の生き方なんだから,という意味である。

 実は,今年の5月に急になぜか,体幹(腰回り)が痛くなって,同時に咽が腫れて咳が止まらなくなった。8月の半ばにも,また咳が出た。今年の2月に従姉妹が肺がんで亡くなったのもあって,俺もどっかおかしいのかなと思って検診を受けた。体幹が痛いというのは,なんだかガンのような気がしたのである。内臓疾患の痛みは,どういう痛みか普通分からないのだそうなので。

 結果は何処にも異常なし。ただ,もう5年も放ってある大腸の内視鏡検診を今年は受けることにした。検便で潜血反応は出なかったのだが,過去2回ポリープを切除している。受けたことがある人と話すと,2度とやりたくないね,というくらい下剤やら食事制限やらが面倒である。場合によっては,1日入院するかも知れないという,検診だからポリープが見つかったときのダメージも大きい。

 いつも一緒に受けている,かみさんの方も異常はなかったが,膀胱の超音波検査をやり直させられたりして疲れたみたいだった。いつも終わってから何食べようか,すこし楽しみにするのは止めにした。バリウムを飲むから腹は張っているし,いつトイレに行きたくなる気が気ではないので,この1日は,やっぱり歳をとるほどダメージになると改めて感じた次第で,ま,こんな書くことでもなかった,かな。

2017.08.28

仏教の唯識

 先週NHK教育テレビで放送された「こころの時代」~唯識に生きる⑤というのを録画してみた。いつも見ているわけではなく,出演者に理論物理学者の大栗博司さんが登場していたからだ。仏教学者の横山紘一氏と20分くらいの対談が面白かった。000069109602017_01_580
 
 唯脳論は,まさに唯識論と同じで,この世のすべてはわれわれの脳に生起する意識でしか表現されない,ということだ。もちろん無意識というのもある(仏教では阿頼耶識と)が,意識的なことがらを表現するとすれば,絵画や音楽でも良いが,普通は人の話す言葉というもので記述することになる。では,言葉とは何か。つくられたものである。そういう恣意的な言葉で,元々からあった世の中の様子をただしく記述できるのか。そういった制約から逃れられないのでないか。
 さらに,われわれの考えというものを意識的につたえようとすれば,言葉にせざるを得ない。本来の事象と言葉の結びつきは,すでにつくられたものとしてあるから,逆に私たちはそのような社会的な約束に即して生きて行かざるを得ない。そうではない,父母未生以前の自己(漱石にでてくる)とは,どのような存在か,といった考え方を探ると仏教になる。西洋では,絶対的な神がもともといることになっていて,すべてはすでに与えれたものとして存在するから,このような議論ははじまらない。

 古くからわれわれの認識が,かなりあやふやなものだということは分かっていたのだ。では,なぜそんな風に脳ができているかと言えば,人々が協力し合って認識を共有し,信じる(虚構でも)という能力を持ったからだと考えることができるだろう。集団で何か事に当たり,力を合わせるには,言葉が必要だったし,ウソ(でも)を信じ合えることが大きく役立ったと考えられる。


2017.08.27

つまりはバーチャルリアリティー(VR)かと

 話をつづけると,虚構というのは実物でないという意味ですが,外にあるそれを現実のものと対比するように,私たちの脳の中に再構築しているということが,虚構じゃないか,という意味です。ある程度本を読むようになれば,面白い小説などまるで映画を一本見たような楽しみを覚えますが,文字を読んであたかも映像を見ているかのように時間を過ごせると言うことが,脳の持つバーチャルリアリティー構成能力と思われます。

 最近流行のコンピューターVRを体験していないのですが,たぶん人間はさほどに騙されやすいということなんでしょう。もっと前から心理学の実験で,他人の腕(手)を自分のものと錯覚を起こすことなど簡単にできるものなのですから。

 で,小説ではどうかというと,見ているというか体験しているというか,感じているというか,小説を読む装置のようなものが脳のどこか別にあるような気がします。そこがよく働いて夢中になれると面白い。漱石などもそういうことをいっぱい考えていたんだろうと思います。「彼岸過ぎまで」なんかを読むと,推理小説のような小説仕立てで書き始めたのが,途中から漱石の独白のように変わってしまうところがまた面白いところです。でも,んだな,んだなと思って私は読んでしまいます。その辺がよく分からないところですけれど。また,なにか読んだときに考えてみたいと思います。

だましのテクニック

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 この間の直木賞をとった「月の満ち欠け」という小説を読んでみたのだけれど,正直なところあまり楽しめ(面白く)なかった。生まれ変わりとか前世の記憶とか,という話は興味があるから知っていたし,それをモチーフにしているのも前評判で聞いていたから,話に入っていけない,小説に没頭できない,いつの間にか本の世界に入り込んでしまうという,いつもの経験をせずに読み終わってしまった。ということだと思う。

 養老先生が言っているのを参考にすると,脳は現実より架空の物語の方を好むのだと思う。哲学とか思想とか科学とか大そうなものを考え出すが,どれもパズルあわせのように腑に落ちる(完成している)ものを好むから,にすぎないと思う。はっきり言って,政治経済や近頃のマスコミ報道なんかクソ面白くもない。養老先生はファンタジーをいっぱい読んでいる。ファンタジーなど子供だましだと言うなかれ,話立てやトリックが巧妙に組まれていて現実には不可能な整合性が見事に構築されているのである。このことは,ウソ学といって,養老先生の得意分野だ。

 ウソとかインチキに騙されるな,というが,われわれは巧妙に騙されるのつねに欲っしていると言って良い。お年寄りが,オレオレ詐欺に騙されるのも,息子を助けるという利他的行動をかなえてくれるからではないだろうか。

 この点,日本人はまじめすぎるらしい。西洋では,たとえば,アメリカの9.11同時テロすら,だれかの陰謀で,そもそも,ハイジャック機は自動操縦のはずだ,とかあんなビルにあてるのは不可能とか,なぜビルが崩壊するのかとか,いってこれらは仕組まれた芝居にすぎないと陰謀説が相当支持されているという。ウソが仕組んであるのが普通というキリスト教的性悪説なんだろう。したがって,だましのテクニックも相当なもので,オレオレ詐欺なんて低レベルの詐欺に遭う人はいないに違いない。さらに社会的にそういうレベルの高いウソを,そのようにしとかないと世の中まわらないでしょ?というスタンスで黙認する文化があるのだそうだ(養老孟司「考える読書」より)。

 小説を読んで,夢中になるのが面白いので,それには想定外の展開や,先の読めなさに引き込まれるといったことが必要で,その場合多少無理があっても読者が気がつかなければ不満はでない。映画も同様で,何回か見るうちに,そういった話の展開の矛盾に気がつくこともある。荒唐無稽ということだ。
 そうなってくると,逆に事実は小説より奇なり(事実の方がウソっぽい)となって,どこまで行ってもウソに惹かれるのが人間ということになる。

 要するに,初めから脳の中は虚構で成り立っているのだと言って良い。私でなく,養老さんとノア・ハラリ氏がそう言っている。


2017.08.20

登山用品あるいは山登りのこと

 明日から八ヶ岳へ山登りに行く。去年も2回かみさんを連れ回した。中高年登山者というやつである。それで,今日,今年になってオープンしたモンベルの二子玉川店に行って,新しいザックを買った。今まで使っていたのはかれこれ10年以上(たぶん15年くらい)使ったもので,中の防水加工が劣化したり,ファスナーが破けてきたりしていたので,良い機会だった。

 で,驚いたのだが,スペックの割に値段が安い。ザックについて振り返って見ると,これが私の使う5代目のザックになる。1代目はいわゆるキスリングで,黄土色のキャンバス地の横幅のある,昔カニ族といわれた(若い人は知らない)ものだ。学生時代の後半で縦長のICI石井(赤)が2代目,30代で同じようなの(緑)で,40すぎでドイターの山小屋1泊タイプが4代目といったところである。これも確か安売りで3万円前後のが2万円くらいだったと思うが,山の装備品ていうのは命に関わるので,つくりや機能を追い求めると結構値の張る物だったと思っている。基本になるザックや靴,雨具なんかもだいたいちょっといいものを揃えると10万円はくだらない(安めで7,8万)。というのが,いままでの認識だったのだが,今回選んだのは,40Lでモンベルの一押しタイプで19500円(+税)であった。なんというか,普通のビジネスバッグだってこれくらいの値段だが,肩掛けや背中のパットや金具とかベルトやら細かい部分のつくりから考えて安いと思うのである。店員に,昔に比べて安いですね,というと,昔のことはよく知りません。が,今登山をする人が増えているので価格は安くなっているんじゃないでしょうか。ということだった。

 言われてみれば,ほんとに中高年が良く山登りをしている。アウトドアともいうが,それに伴ってだろう,製品はすごく進化している。もちろん,世の中の便利品は何でも安く良いものになっているだろうが,私の昔の感覚は,山に行くのは特殊人種で,その人たちの世界に,マーケティングは目を向けていないはずだ,という気がしていたのである。でも,いっぱい人が買うのだろう,変わったな-と思った今日の買い物でした。

 というわけで,明日からたのしみだ。

近頃の天気

 昨日は,多摩川花火大会(二子玉川付近)のはずだったが,急な雨と雷が来て中止になった。ツイッターなどでも東京がすごい雷と雨になっていることが報じられていた。自分も家にいてこんな突然の風雷雨は初めての経験だった。いきなり,近くに落ちたような雷,窓を開けていると家の中のものが飛びそうな突風,そして叩きつけるような雨の降り方。今までなかったと思う。
 人間だから,まさか自分が,というのがあるし,土砂崩れ,洪水もそこかしこで起こっていてもまだ経験していないしその確率は高いとは言いがたいので,どこか安心していたのだが。

 ただ,明らかに今年の夏の天気は異常だとおもう。1993年の冷夏とお米がなくなったときのことは良く覚えているが,あのときはこんなに激しい雨は降らなかった気がする。都市気候のせいとも言いたいが,寒気の流入によるものだそうなので,世界的な気候異変かも知れない。この夏は,太平洋高気圧は何処へ行ったのだ,という天気図しか見ていない。政治の世界といい,このところあれよあれよという間になにか変なことが起こっているようで気味が悪いと思うのは私だけではない気がする。

2017.08.16

いまの風潮

 NHKスペシャルが,8月6日からほとんど連日,原爆と空襲,インパール作戦,731部隊といった内容を放送していた。全部録画しているが,重たいので少しずつみようと思っている。そんななか,見逃していた,昨年のオバマ大統領の広島訪問を追ったドキュメンタリー「アナザーストーリー~オバマ大統領歴史的訪問の裏舞台」(再放送)がすばらしかった。知らなかったのだが,平和公園でのスピーチの後,オバマが背中をさすった方が,原爆で亡くなった12人のアメリカ兵の消息を本国に知らせたということで,その行為をたたえた瞬間だったのだ。
 被爆国でありながら,禁止条約を批准しない安倍政権に対して長崎市長も批判している。世論では,一体何処の国の首相なんだ。朝日新聞の投書(皮肉)欄に,「どこの国の首相? こんな国の」とあってつい笑ってしまったが,笑っていられないような今の風潮。

 なんで,1年あまりで,世界はこんなに変わってしまうのだろう。

 もしトランプ政権でなければ,去年5月のまま核に対する認識が続いてれば,に今の米朝の緊張感はあり得ないと思うのだが。

 毎日,安倍+トランプ+金正日を二ユースで見ていると,NHKスペシャルの感傷ではまったく歯が立たないような気がしてくる。

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