日記・コラム・つぶやき

2017.12.30

そろそろ人工知能の真実を話そう

 ジャン=ガブリエル・ガナシアというフランスの情報学者が書いた本(早川書房)である。養老先生の「遺言」に紹介があったので買って読んでみた。よかった。AIが将来人間を超えて、地球を支配するというシンギュラリティは、単なる妄想にすぎないということが書いてある。シンギュラリティというのは、特異点など訳せるが、最近ではコンピューターの進歩がある一線を越えて、新たな世界が到来する(だいたい2045年ころ)というAIシンパの脅しみたいなもののことだ(という認識をこの本を読んで知ることができた)。

 情報学者というと、数学や理論的な説明を連想するが、シンギュラリティというのがそもそも理論的に裏付けられておらず、むしろ思想とか文化的な背景から生じてきたことを歴史学者的に説明している。未来がある時点でガラッと転換する(世界)というのは、昔から一神教(ユダヤ教キリスト教)のなかにくすぶってきたグノーシス主義(人知主義)と同じものだというのだ。また、議論自体が科学的に検討されているものではない、ことも強調している。

 結論から言うと、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト(これをGAFAMと略すそうだ)などのグローバルIT企業にとって都合のいい宣伝(やはり脅し)にすぎないということだ(訳者のあとがきだけ読んでも大まかな内容がまとめられているので、立ち読みされるといいですよ)。

 そもそもコンピューターが人間のような意識を持つことができるか、といえば、養老さんが言うように、意識というものすら人類は理解するに至っていない。脳をコンピューターと考えることが浅はかといっている。
 意識の特徴には眠るということも含まれているだろうし、脳の機能や大脳皮質がどうやって活動しているのかわからなければ、単にコンピューターが機械学習を始めたからと言って、意識を持つはずがないのである。

 AIが、将来人間の上に立つ、というのは幻想です。この脅しにのらないために一読をお勧めします。

 
 

2017.12.11

大河ファンタジー直虎

 Cimg4064

NHKの大河ドラマが、ほとんど史実を反映しなくてよくなったのは(元々からとも言え)江~姫たちの戦国あたりだろうか。今年の直虎は、結構面白かった。前半はあまり見ていなかったのだが、途中からドラマとして見入ってしまった。特に、今川ってすでに桶狭間で消えているんじゃないの?というあたりから、井伊といえば彦根城だし、みたいな歴史好きにもすこし隙間を埋めている感じで引き込む要素があったと思う。
 
 徳川家康の描き方も去年の真田丸あたりで、認知されていたのもあってあまり違和感がない。柴咲コウや高橋一生の演技も注目を引いた。先週の「自然」君など唐突でも、ドラマツルギー、ストーリーテリングにはまってしまった。精霊の守り人よりファンタジー感のある、大河ドラマだったと思う。

2017.11.30

養老孟司「遺言」

 養老先生久々の書き下ろしだそうで、出たての本。早速kindleでダウンロードして読んでみた。ところどころ難解な部分もあるが、今まで書かれていたことを、丁寧に説明してくれているという印象も強い。人とは何か、意識はどこまでわかっているのか、など普通の人が考えないことをいつも考えてくれる強い味方だと思うのは、いつものことだ。

 人(生物としてのヒト)の認識が、特異なものではないか、と養老先生も言っている。言葉を使うのはヒトだけ。言葉とは、抽象化であり、感覚を無視していろいろな違いを同じにする能力(作用、傾向)で、それがヒトの特徴。その担い手はヒトの意識というもので、意識は無くなることも多いくせに(眠っている間とか)、同一性を持ちたがる。この辺は、もう少し説明してもらいたい感じだが。記号化、情報化、グローバル化などみんな同じにしようとする力だ。これに対し、感覚、動物には同じにするなど考えもよらない。もちろんヒトも感覚的には、差異を読み取ることができる。現在は、感覚対意識の問題がいたるところに噴出しているという。
 
 なるほど、トランプ現象やイギリスのEU離脱、安倍支持などみな理屈ではない感覚の重視かもしれない。

 だから、田舎で違いの分かる感覚的生活を取り戻した方がいいのだが、どうしてもみんな都市に住みたがるようだ。

 うまくまとめられないが、意識とは何か、いかに変な傾向があるかをもう一度意識?するべきです。という内容でした。

 

2017.11.23

監視社会

 もう30年も前だが、はじめて行ったヨーロッパ旅行のときに、当時の東ドイツベルリンの大使館勤務だった中学以来の友人のところに立ち寄った。ソ連崩壊の前である。友人は東側(社会主義国)がどんなにひどい状況なのかを切々と説いてくれたが、例えば、こんな下っ端の日本の役人(自分)まで、毎日行動を監視されているというのだ。いつも、官舎を出るときに、ドアに封印(開けたら落ちるしかけだった)をしておくと、帰った時に誰か侵入したかわかるのだが、毎回誰かが入っているのだと言っていた。
 信じがたいので、友人のストレスや精神状態のせいで言っているのかとも思ったが、西ベルリンのチェックポイントや地下鉄を体験したりするうちに、社会主義国の体制というのを実感した思い出がある。中国北京に初めて行ったのも天安門事件の翌年で生々しい事件の痕(広場の焼け焦げ)を見た。しかし、90年代にはベルリンの壁とともにそういう体制は崩壊したかに見えた。

 自分らの若者時代というのを考えると、社会主義は真の平等や皆が対等で自由な社会の象徴でもあった。それはベトナム反戦運動やヒッピームーブメント、ビートルズや長髪という若者~学生運動とつながっていた。無論、失敗だったとしても、それは権力の闘争や、反体制勢力を押さえつけるために行われた結果だったろうし、考え方としては未来の自由な人間性の回復を意味していたと思う。なにしろ2度の世界大戦の反省に成り立っている時代なのだから、と。

 ところが、では自由資本主義のほうは良い方向に向かってきたかというと、世界中に再び暗雲が忍び寄っているような状況である。なかでも、昔はなかったインターネットのような高度情報化社会で世界中の人がつながっているにもかかわらず、ということ。
 これも、90年代にインターネットが登場したとき、それまでの音楽(ロック)のようなメッセージはインターネットによってもっと広く正しくいきわたるのではないかと、ロッキングオンに書いてあったと思う。

 最近の若い人たちを見ると、偏見かもしれないがどうも堅苦しそうな気がしてならない。なんか馬鹿をやらない、どうしてみんなリクルートスーツ(黒)をきてるんだ、東大生の60%が自民党支持だって!?。
 
 安倍政権に対し、真っ先にNo!というのが、私らから見た若者のはずなのであるのだが。

 社会主義が監視社会をもたらすどころか、共謀罪の成立した日本で2年後にオリンピックが開かれる。政府はテロ防止のためと言っているが、秋葉原で安倍さんに対して「帰れと」やじった人たちを共謀罪で逮捕しろというツィートに自民党議員が「いいね」したという。

 何が問題なのか考えている。

2017.11.21

記録と記憶

 映画ブレードランナー2049を見て、記憶と記録の問題が出てきて考えた。近未来、どうも記録を消すことが大事になっているらしい。なんと最近の、森加計問題に酷似しているではないか。あるいは、パラダイスペーパーとか、記録が富裕層を脅かしている。そして、主人公の記憶が埋め込まれたものか否か、が分かりにくくすこしイライラさせられる。

 NHKの海外ドキュメンタリーで、実際、記憶の書き換えができるというのをやっていた。冤罪などの例や、それによって、心的外傷を取り除くという応用まで。最近の時代劇の奉行所ものを見ると、江戸時代の方が記録をたどる場面が目立つ。歳をとって、過去を振り返ってみると、よく覚えていないことは、もちろんのことだが、たくさんある。記憶力の問題だし、嫌な記憶は自然に消えていく。忘れたくない思い出もあるが、少しずつ消えている気がしてきた。これは、忘れたら存在しないということを意味している。日記を書くという習慣は大事なのかもしれない。

 問題は、コンピューターとデジタルデータだ。グーグルのストリートビューもすごいが、監視カメラのデータの保存量がほんとに膨大になったのだろう(クラウドにしてるのか)。スマホのデータも知らぬ間に吸い取られているわけだし。ほんとにこのようなビッグデータをとっかえひっかえ意図的に操作させられたら、いくらでも個人を冤罪で犯罪者に仕立て上げられるように思う。最近のフェイクニュースもほんとに危うい。フォトショップを使えば簡単にインチキ証拠写真だって作れるだろう。

 あーくわばらくわばら。

2017.11.16

ブレードランナー2049

 SF映画の傑作のひとつと言われているし、前作の近未来の雰囲気がすごくて、見なくてはと思った映画を見てきた。ストーリーは続編なので、前作は見ておきたい。その1982年の前作で描かれていたのは2019年だったそうで、今回は2049年30年後だ。前作で印象的なロスアンゼルスの雨が降り続く中うどんを食べるシーンと同じ雰囲気、は健在で、それと音楽や廃墟のシーンに惹かれた。ストーリーより未来に行った気分を楽しむ映画だと思いました。

 あと30年で、車が飛ぶ時代にはなりそうにありませんが、ドローンによる監視社会も怖い気がします。ホログラムの彼女は、あと20年くらいで実現するんじゃないでしょうか。彼女の着ていた黄色いビニールの上着がほしいと思いました。レプリカントは、まあクローン人間というところで50年後くらいにはありえますね。いずれもディストピアが近いという気がするのは、みんな感じているんだなと思いました。

2017.11.15

南多摩の思い出③

 高校から大学生にかけて、70年代の後半であるが多摩ニュータウンはさらに開発を続けていった。造成地をみるのが当たり前だったし、造成地で遊んだり、地学の授業で化石堀りもしたし、仮面ライダーのような戦隊もののロケもよく行われていた。子供はどこでも遊び場にするが、刻々と変化する造成地は、飽きるほどたくさんあり、変化していった。そして、尾根幹線を超えて南側には手つかずの多摩丘陵の姿(谷戸地)が残されていることにも気づいた。そういうドキュメントタッチの姿を気まぐれに写真に撮っていただが、ネガを紛失してしまい惜しいことをしたと思っている。

 初期のころは、商店街にまずまずの活気があった。ただし、ちょっとした買い物、例えばレコード店などは聖蹟桜ヶ丘まで行かなくてはならなかったし、普通の街にはたいていある金物屋(工具などもそろえた)もなかった。成人式をむかえたころ、皆で新宿の高層ビルの中のパブに飲みに行こうとかなんとか言っていのを覚えている。ここは田舎であるという意識はずっとあり、当時目黒区にあった大学まで1時間30分かかって通うのが億劫だった(91年に南大沢に大学の方が引っ越してきたが)。

 80年代の後半からあとは独立して実家を離れたので、どんな変化があったのかはよく知らない。調べてみると、89年に多摩センターに「そごう」が開店して、2000年に閉店している。このことを見てもあまりぱっとした地域ではないと思う。しかし、それから、かれこれ十年以上たってずいぶん様変わりしていたので、びっくりしたというのがこの感想になっています。もう一度住みなおそうかな、とおもったり。21世紀というのが子供のころには未来に思えたの、それがそろそろ20年もたつという、時の流れを実感することが最近多いです。

2017.11.14

南多摩の思い出②

 地域開発、というのはその当時の国是のようなものだったのだろう。だが、そこに住んで開発されていく様を目のあたりに見るのは、たぶん廃墟を見るのと同じような感覚だ。きれいな建物、きれいな公園、新しいショッピングモールができてそこに住む。しかし、あの山を崩して出来上がる建設過程をみると、ようするに出来合いの代物だ。街とは住んでいる人が作るものだろう。こう思うのは今だからで、当時の自分にとっては強制疎開させられて、それが良いのだと無理やり押し付けられている感じだった。白けていた。

 高校もニュータウンにできたN山高校だった。高校進学は結構シビアな分かれ目だ。そこそこ勉強ができた私は、公立2番手くらいの偏差値で都立の群制度でG代F中くらいと言われていたのだが、先生たちの指導が入った。新設高校のN山に優秀な生徒を送ってレベルの高い進学校にしよう。というので、本人が強いて嫌がらねば、どうだねパイオニアになってみないか。という勧告にしたがい、その他の連中といっしょにN山に入った。ちょうど京王線が調布から延伸してきたので、結構遠い調布あたりの中学からも、ちょっとガラの悪い子らも入ってきて、質が様々だったのが良かったのか悪かったのか。なにしろ、学校の場所はニュータウンの南の境界の尾根幹線沿いで、永山駅からはバスに乗らねばならない。こんな不便な立地にあって、偏差値など上がるはずはない。当時新宿高校からやはりパイオニア精神でN山高校に転任されて尽力された、私の1年の担任(数学)と剣道部の顧問であった恩師のYG先生がOB会のたびに、駅に近いところに作る案もあったのになー、とこぼしておられる。

 私は、高校まで歩いて15分ほど、確か始業は8時40分だったから、朝ドラが始まるくらいに家をでれば間に合った。それでも、遅刻常習犯だったと思う。当時の都立高校というのはほんとに自由おおらかで、よほどのことでなければ、問題にならないし、何というか先生も生徒も暗黙に同じところに線引きをしていてうまくいっていた。うちの親もふだんからぼんやりした人間がさらにぼんやりしてくのじゃないかと心配した。電車に乗って遠くまで通う経験をさせなくて大丈夫かと言っていた。

2017.11.13

南多摩の思い出①

 今尾恵介さんの著作になぜ惹かれるかというと、ただ地図を読むだけでなく、地図に過去が記録されていることを利用してタイムスリップができることを教えてくれるからだ。残そうと思って作られたものでないだけに、むしろ価値がある。養老先生は日本人ほど過去を消すのが特異だと言う。もちろん地図からもいろんなものが消されたりする。戦争中の偽記載なども、そういうウソの記録として残ってしまった。地形図は、版を重ねるごとに土地の様相を記録していく。それを肌で感じたのも、多摩ニュータウンに移り住んだからかもしれない。地図は考古学的、考現学的な一級の資料といえるだろう。

 今だから暴露するが、移り住んだ賃貸(当時住宅公団の)集合住宅は、突貫工事で作ったのがよく分かった。壁紙で胡麻化していたが、コンクリがむき出しの壁にはテコの跡があったり、階段の段も適当な間隔だったり傾いていたりしていた。そんなのが我が家の新しい住まいだった。どうして引っ越したかというと、それまでも八王子の集合住宅いわゆる団地住まいで、妹も私もそろそろ別の部屋が必要で2DKでは狭くなったためだ。当時は建設ラッシュでいろんな団地ができていたが、ようやく抽選に当たり、引っ越したというわけだが、今思うとそれが多摩ニュータウンだったのは特異なことだった。なにしろ、すべてが新しい街で、学校も新しいから、生徒はみなあちこちから引っ越してきた転校生ので構成されていた。昭和46年に入居が始まった諏訪と永山地区だけなので、中学は1校しかなく4月に開校した当時は1学年20名ほどだったそうだ。2学期になって(夏休み中に引っ越した)私と一緒にそこに7,8人転校生が加わり、たしか2年生になるときには2クラスになった。振り返ってみると、どの友達も同じ団地住まいで、親の年も年収もそれほど差がない、昔で言えば長屋住まいのような若いサラリーマン家庭ばかりだっといえる。会社の重役だとか名主みたいな家の子は当たり前だがいなかった。

 なにより、陸の孤島といわれたように、まわりの丘はいたるところでまだ造成工事が行われ、ブルドーザーがうなりを上げていた。緑が削られ、赤土の場所が次第にコンクリートの建物に変わっていくさまを大学生になるころまで見ないことはなかった。今まさに作られていく新しい景色は、自分にとって既知のものではない。どうつくろっても、かけがえのないものとは言えない。そんなアイデンティティの喪失感が、私の性格にも反映されているはずである。


Dsc_0051


2017.11.12

南多摩50年の軌跡

 いかにもローカルなタイトルであるが、昨日実家のある多摩ニュータウンで開催中の地図展2017を見てきた。

 中二の時に多摩ニュータウンに移り住んだ。これは、結構稀有な体験なのかもしれない。多摩ニュータウンとは何か、から話し始めないといけないことになるが、要するに高度経済成長時代のあだ花のような場所である。1971年のことである。昭和46年でもある。今でこそ、多摩センター駅にはモノレール、京王プラザホテルがあり、南大沢には首都大学東京が鎮座しているが、永山駅の周辺に諏訪地区永山地区の団地が建設されたばかりだった。陸の孤島と呼ばれた。

 もちろん、そこで中2から成人して独立するまで住んでいたのだから、故郷でもある。変化の激しいところだっただけに、いろんなことが凝縮されていると、改めて感じた。いっぱいあるので、とりあえず話の始まりと思っていただきたい。
Dsc_0053


より以前の記事一覧