旅行・地域

2023.09.11

夏の甲子園と関西旅行

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神奈川代表の慶應義塾高校の野球部が,なんと107年ぶりに甲子園で全国制覇をなしとげた。107年前というのは,夏の全国高校野球(当時は旧制中学)第2回大会の大正5年(1916年)で,夏目漱石が亡くなった年だ。 そのころの野球は,漱石の朋友正岡子規がはまっていたという草野球に毛が生えた程度のものだったろうし,当時,野球部がある学校なんて全国に100もなかったんじゃないだろうか。なので,107年前に意味をもとめ,歴史としてつなげて考えるのはおかしいと,たいていの人は思うはずだ。にもかかわらず,エンジョイベースボールを掲げ笑顔でさらさらヘア,坊主頭なんて時代遅れみたいなメッセージが伝わったものだから,異質であることが脅威としてとらえられ,異様な応援で仙台育英のプレーが妨げられたといった慶応バッシングや,いや高校野球の新しい流れだとかいった指摘のヤフーニュースが決勝の後1週間以上もかまびすしく続いていた(私のスマホの場合)。

野球は,野球オンチでない人なら観戦して面白いと思うはずだ。球技の中でも攻撃と守備が入れ替わり,基本は打者とピッチャ‐の対戦なのに,競技場はすべてのゲーム中最大の広さを要する(戦争をのぞく)。1試合の時間も昔は延長18回なんてこともあり最長だろう。私も,中学で野球部に入り,下手なりにゴロをさばいたりフライをとったり,スローイングがだんだん上達して速いボール投げられるようになるのは楽しかった。どういうわけか私の父は,山梨の日大明誠高校(巨人の木田投手が出ている)の教員で学校が出来た時に勤め始め若かったので,その初代野球部長に就任したという。当時の対戦相手には巨人の堀内(知ってる?)が甲府工業高校にいたそうだ。今ではJリーグやBリーグなど様々なプロスポーツがあるが,プロ野球の人気には及ばない。前日ひいきのチームが勝つと気分がいいし,ヤフーニュースはたちどころにその人のひいきのチームを判定するようだ。

ここまでの話をまとめよう。①ヒトという生き物はゲームに夢中になる性質がある。②自分の所属する集団への帰属意識が必要で,ゲームの対戦においてその帰属意識から,どちらかのチームを応援する理由を探る性質,ないしひいきのチームが勝つ理由を正当化する気持ちが生じることがある。長くなったが,春の選抜に慶応が出たので,甲子園へ応援に行き,夏の神奈川大会準決勝や夏の甲子園の決勝へも足を運ぶことになった。春の選抜初戦で仙台育英に1-2で惜敗したのをバネに夏に決勝で雪辱を果たす,という奇跡のようなまさに劇的場面に立ち会わせてくれて,彼ら(関係者を含め)にはほんとうに感謝しその成果には尊敬の念を禁じ得ない。

というわけで,かみさん同行で春夏ともに新幹線で甲子園に出かけた。甲子園球場は大阪ではなく兵庫県西宮市で神戸のちょっと手前だが,新大阪からJRと阪神電鉄で30分もあれば到着する。ということを行って初めて知るわけなのだが,往復の新幹線代が甲子園の応援だけではもったいないので春は神戸の三宮,夏は大阪の天王寺近くのホテルに泊まって翌日に関西を旅行してから帰ってきた。かみさん(国語の教員)の専門は源氏物語だということで,春は須磨・明石(ゆかりの地),明石の天文科学館(日本標準時の場所),加古川の鶴林寺,そして姫路城,夏は四天王寺と京都の石清水八幡宮,宇治十帖の宇治をまわってきた。姫路城は高校の修学旅行以来で,国宝で今は世界遺産にもなっていて,日本の城郭でもっとも高い天守を誇る。若いときには感じなかったが,天守に登るのが結構きつく,5階ぐらいで前のおばさんの足がつって動けなくなるのに遭遇したほどだ。 そして,ようやくこの歳になって,はてこの城は誰が建てたんだっけか,と自分が知らないことを意識する。高校生ぐらいだと国宝とか言ってもフーンとかしか思わないものだ。無論,城のあるじ(城代,藩主など)は時代によって変わるから,よほどの歴史好き城マニアなどでないと答えらないクイズかもしれない。だが,天守閣からさらに西の丸というところに行くと,千姫の間とかいって説明や衣装や道具などが展示されている。ここでも,はて千姫って誰だっけ?と?が増してくる。有名な観光地なのに,つまり自分がいかにものを知らないかということ自覚するのである。入り口でもらったパンフレットを開いて読んでみる。千姫は,信長の妹「お市」の三女浅井「江」と家康の三男秀忠の間に生まれた子(家康の孫)で,秀吉の子秀頼に嫁いだが,大坂夏の陣で自害した秀頼と別れ炎の中から救出された。江戸に戻り,徳川四天王の本多忠勝の孫の忠刻(ただとき)に再び嫁ぎ,父本多忠政が入府した姫路城に入った。というわけで,歴史通なら豊臣秀頼の正室のことぐらい知っていて当然だとはいえ,こうして少しずつ知識が広がっていくのも旅行の効用だろう。今ある多くの城は戦闘用に作られているとはいえ実戦を経ているのは幕末での熊本城ぐらいのものらしい。

今年の大河ドラマ「どうする家康」は戦国時代を通しで理解するのに私には役立っている。信長から秀吉そして家康へという流れはわかっていても,脇役の武田や上杉,真田,明智などだけでも大河ドラマができるわけで,先に述べたようにひいきの立場(法則②)が違えば,歴史の見方も変わってしまう。また今まで,桶狭間で信長が台頭してから安土城,本能寺,関ヶ原という断続的な知識が,三方ヶ原とか長篠,小牧長久手の戦いを具体的に知ることでつながった。戦国時代という生き残りゲームに最後まで家康が残ったのは,たまたま長生きしたからぐらいに思っていたのだが,もっとしたたかな計算ずくでこの長いゲームの勝者となったというべきだろう。そしてその今川家の人質から大坂夏の陣までのしぶとさは,その後の江戸時代の気風にまで続いていることを知った(後述)。Img_20230824_091946

さて,旅行先で見知りすることもあるのだが,右の写真は今回事前に目的地として選んだ場所で,江戸時代の天文学者麻田剛立の墓だ。四天王寺から歩いて10分ほど。一昨年東京上野の源空寺の伊能忠敬と高橋至時の墓の写真を撮っているので一つのミッションである。日本の江戸時代の天文学は比較的レベルが高く,それはこの麻田剛立によるものと言える。戦国が終わって長く平和な江戸時代があったからこのような科学知識の進展があったと言われている(関孝和の和算などもそうで,西洋とは独立に発展した)。しかし,その江戸時代の気風というのは家康の性格を引きずっていると司馬遼太郎はいう。「覇王の家」(家康の生い立ちから小牧長久手の戦いまでを描いた小説)のあとがきから引用する。「中略~日本に特殊な文化を生ませる条件をつくったが、同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった。その功罪はすべて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格から出てている」。この自己保存に過敏な性格というのは,現在の日本の世襲政治とか大企業の内部留保の極端な多さなどに現れていると言っていい。よくいう島国根性だの村社会,同調圧力,空気,自主規制のようなものも同根なのであろうか。

 実は,わたくしT家の先祖は戦国時代の佐竹藩,佐竹義重付きの家老T隆定という武家である。家には代々古文書が伝えらえている。その中に,石田三成からの書状,というものがあって真偽は定かではないのだが大切に表装されて伝わっている。秋田へ転封になった義重の子佐竹義宣と石田三成は仲が良かったのでその関係だろうと思われる。そんなものが家にあるのだから当然だが私は三成びいきである。家康の会津征伐の時に伊達政宗が家康になびくのをやめて上杉,佐竹,伊達,最上が連合すれば,家康を倒せたはずだとかよく考えたりする。司馬遼太郎の「関ヶ原」を読むと,有能であるがゆえに嫌われ者の石田三成にえらく感情移入してしまう(島左近も好き)。考えてみるとこれも先にあげた法則②にすぎないのであって,この身びいき本能が家康的なるものと言うべきなのかもしれない。しかし,ひいきの引き倒しと言われようと,今年の慶應高校野球部の掲げるエンジョイベースボールによる全国制覇は,野球を越え現在の日本の閉塞的な状況に一石を投じる偉業と思い,その近くに居合わせたことを誇りとしたい。

2018.01.02

武蔵と相模

 正月実家に帰った帰りに、多摩市の小野神社(聖蹟桜ヶ丘駅徒歩6分)に行った。一之宮という地名は、普通にありそうであるが、実は諸国に各一つづつしかない。多摩の一之宮と言えばこの小野神社のある場所であり、ここが武蔵の国の一之宮なのである。が、それにしてはちっぽけな神社だ。通常、武蔵一之宮は、大宮の氷川神社とされていて、これは大きい。相模一之宮の寒川神社も大きい。なぜ?という疑問がわく。

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いろいろグーグルでググってみると、やはりこちら(多摩)が正統の一之宮のようである。江戸時代以前(中世)を考えると、地域的に鎌倉道、聖蹟桜ヶ丘の地名は関戸で、ここで鎌倉街道が多摩川を渡っている。で昔の武蔵国は、多摩丘陵の南西がわまで(町田市から境川の東側)であったことなどを見ると間違いない。たぶん洪水などで何度か流されてしまって、江戸時代に衰退してしまったのではないかと思われる。

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昔から多摩に住んでいるものとして、誇らしいのであるが、例えば二子玉川も渡しであり、今は246が通っているがこれは昔(鎌倉時代)の日光街道であるらしい。東海道というのは、新しいのである。東京というのは、やはり家康以降の土地で、中世には、鎌倉や金沢八景(六浦)あたりで京都からの用は足りていて、千葉の安房とか下総とか常陸のようなところには海をつたって行ったのではないだろうか。

 平坦な沖積低地は、田んぼではいいが、しばしば水害で流されるので、ブラタモリ的に高低差が重要で、小高い段丘や、自然堤防の上には昔の遺物が残っている。そういう目で神社仏閣を中心に街歩きをするのは楽しいだろうと思った。

グーグルマップで出てくる一之宮の地名の分布→
さいたまは、氷川神社
KANAGAWAのところは寒川神社
その中間が小野神社

2017.11.12

南多摩50年の軌跡

 いかにもローカルなタイトルであるが、昨日実家のある多摩ニュータウンで開催中の地図展2017を見てきた。

 中二の時に多摩ニュータウンに移り住んだ。これは、結構稀有な体験なのかもしれない。多摩ニュータウンとは何か、から話し始めないといけないことになるが、要するに高度経済成長時代のあだ花のような場所である。1971年のことである。昭和46年でもある。今でこそ、多摩センター駅にはモノレール、京王プラザホテルがあり、南大沢には首都大学東京が鎮座しているが、永山駅の周辺に諏訪地区永山地区の団地が建設されたばかりだった。陸の孤島と呼ばれた。

 もちろん、そこで中2から成人して独立するまで住んでいたのだから、故郷でもある。変化の激しいところだっただけに、いろんなことが凝縮されていると、改めて感じた。いっぱいあるので、とりあえず話の始まりと思っていただきたい。
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2017.08.24

八ヶ岳へ

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 今週月曜から1泊で,八ヶ岳の赤岳鉱泉に泊まり,硫黄岳に登ってきた。1日ずれれば天気は良かったのだが,火曜日も曇りで,上はガスの中で何も見えなかった。写真は,小屋に着いたときかろうじて横岳の大同心小同心の姿が見えたときのもの。

 天気さえ良ければ,と山では思うことが多い。それでも,山道や森の中にいるのは心が洗われる。うまく休みが取れるかどうか,秋の紅葉シーズンにまた行きたい。

2017.08.12

日本地図学会の巡検

 昨日は,東京の水辺を貸し切りボートでめぐる地図学会の巡検に参加してきた。
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貸し切りでなくても,ミニクルーズのようなふねはこのスカイツリーのたもとから出ていることも初めて知った。個人的にまた行っても良いかなと思う。地図学会なので,今ブラタモリ流行の町歩きの達人たち(スリバチ学会や境界協会)の人たちがごそっと乗って大盛り上がりだった。

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 小名木川は,下町低地でもっとも有名な運河だろう。芭蕉の「秋に添うて行かばや末は小松川」の句のぶたいである。隅田川と荒川の水位が違うので,水門(扇橋閘門)を通過しなければならない。というのも初体験であった。

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 隅田川に出る。このまえに昼食のため上陸し,芭蕉記念館にも行ってきた。

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 神田川にも入る。お茶の水あたりでは,電車が通過すると大興奮でした。
 このあと,水道橋の先から日本橋川を下って日本橋で下船。約4時間の船旅でした。

2017.03.21

福井県立恐竜博物館

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 2000年に開館した県立の恐竜博物館。日本で恐竜の化石が大量に発見されているのは福井金沢にまたがる手取層群というジュラ紀白亜紀の地層で,この勝山市でもワニの化石などが発見されてるそうだ。このためだけに福井にも行く人もたくさんいると思う。歴史的には平安期から栄えた平泉寺という寺院史跡にも立ち寄った。ここもお薦めで,さらに福井平野には古墳もおおくこの地域が古代から豊かであったことに気づかされた。

 行ってみるまでは分からないもので福井市内から,車で30分以上かかる郊外にあり,敷地の規模やモダンな建物からいって日本一を誇れるものだ。このブログにアップしていないけれど,行ったことがある中国の自貢恐竜博物館や世界恐竜谷(雲南省)に引けをとらない。ただ,日本で発見される恐竜そのもののスペースはそれほど大きくはない(下写真参照)。

 地質(地層)と化石は,地球の歴史を物語るものであるので,多くの自然史博物館にその種の同じような展示を見るけれど(国立科学博物館,生命と地球の星博物館など),ここのがシンプルかつ代表的で見応えのある化石から構成されているという印象をもった。考えてみれば,生物進化と環境の変遷を化石を使って一度に説明するのはどだい無理なのかも知れない。お土産に,越前和紙製の恐竜骨格組立パズルと,恐竜シルエットのお弁当のりを買った。

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      福井で発掘されている全身骨格恐竜化石

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      2階に昇るスロープから,骨格標本は残念ながらレプリカが多い

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      入り口からいきなりエスカレーターで地下に潜る趣向でおおっと思わせる

2017.03.18

永平寺に泊まる

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      永平寺の法堂から

 富山は行ったことがあり,今回能登半島は行かなかったので,北陸とはいえず福井と金沢に行ってきた。福井県は,京都のとなりと言って良く,なので行きは東海道新幹線,金沢から帰りは北陸新幹線である。JRのとくとく切符(だっけ?)にレール&レンタ(だったか)があって,行き帰りJR,途中にレンタカーを入れて繋がるように手配すると割引になる。去年は長野から碓氷峠を越えて使った(JRバスもOK)。特急券が1割,乗車券が2割引となる。乗車券2割引というのは,学生時代の学割と同じだから結構お得感ありである。

 興味があったのは,永平寺と勝山の恐竜博物館と山中温泉(芭蕉奥の細道関係)で,一昨年高野山の宿坊にも泊まったので,せっかくなので(家は菩提寺が曹洞宗)永平寺に泊まって参禅体験をしてきた。二日目は山中温泉泊。

 座禅を組んだのはもちろん生まれて初めてで,永平寺と言えば,道元の開いた曹洞宗の只管打坐である。お泊まり体験の大まかなスケジュールを記しておくと,1日目15時入山,作法と座禅のやり方指導,座禅①,②,薬石(夕食),座禅③,座禅④,映画,入浴,消灯(21時),2日目3:40起床,座禅⑤,朝のお勤め(法要)見学,境内案内,小食(朝食),座禅⑥,座禅⑦,感想文記入,下山(9:50)である。1回の座禅はおおよそ30分。

 まさか,7回も座禅を組まされるとは思っていなかった。1回目は先ず足が組めず,あぐらでも良いというので,それでも普段ストレッチ不足というか足が痛かった,2回目はほとんど感覚なくなるまでしびれた。曹洞禅は面壁と行って壁に向かって,目を開けてする。それと坐蒲というまるい座布団で腰を支えて行う。3回目からはこの座蒲の位置を上手く変えて段々座禅に集中できるようになった。それでも,終わり頃には足が痛くて早く終われと思うばかりになってしまう感じだった。40分くらいやるのが普通らしいが,だいたい25分前後にしてくれていたようである。

 最近は,マインドフルネスとかいって瞑想がもてはやされているが,この道元の只管打坐の理屈(脳の日常的な活性状態をなくす術)が昔からあっとということは,ホントにすごいと思う。優れているというサピエンスの脳の働きが,精神的なストレスや苦悩のもとであることにお釈迦様が気づいたのだ。永平寺のお土産ショップ(なんか道元は怒っているだろうな)に座布が売っていたが,ネットで探して買おうと思っている。家でも座禅してみたくなりました。

 永平寺の食事は完全に精進料理で雲水の食べる量は1日1800キロカロリーぎりぎりなのだろう。修行に入ると10kgもやせる人がいるそうだ。脂っ気がないから,ニキビもなくみな顔がすべすべしていてきれいである。所作も洗練されているというか,あの朝の法要の読経のリズムやハーモニーと動きがすべて美しかった。これは忘れない。3月なので,寒さも耐えられたが,1月とか氷点下の時もあるかと思うとやはり感動する。それと,明るい照明というのは不要だと言うことだ。夜はほの暗くても充分。何しろやるのは座禅くらいだからだ。オフィースの暮らしがいかに不自然か体験的に知ることができた。山中温泉では,精進落としのようにカニすき鍋などで満腹になったが,やはり食事も永平寺に見習おうと思う。


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      東尋坊の日本海


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      兼六園

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      兼六園の梅

2016.11.03

ほったらかし温泉

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 西沢渓谷のあと,疲れた足のマッサージでもと,山梨市のほったらかし温泉に寄った。先週戦場ヶ原の帰りの車で朝のラジオを聞いていたら話題にしていたので知ったのだ。なんともずぼらな名前でその名の通りの温泉施設だった。塩山の近くということで偶然行く機会ができたわけだが。

 山梨県(甲府や塩山)の観光地というとブドウやワイン,武田信玄ゆかりの地,昇仙峡,石和温泉くらいだが,新たな新名所と言って良いかもしれないぐらい。富士山と御坂山地から大菩薩の山並み,塩山の市街を見下ろす絶景巨大露天風呂である。ほぼ山の頂上という場所に,推定1000坪弱くらいの露天風呂が無造作(風情とか清潔さとか無縁に)に作られているのである。入浴料金800円というのも絶景代からすれば安いと思う。信じられないのだが,地理院の地図には,この場所に逆さクラゲ(温泉マーク)がちゃんとあるのである。沸かし湯ではあると思うのだが,それでもこの開放感は半端ではない。まだの方は是非お薦めです。

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塩山駅の北にある小高い山は,平地にぽっかり置かれた小山で,その名も塩山の地名のもとになった「塩の山」ということを知った。カシミールで山名を確かめられるが,有名な雁ヶ腹摺山は見えないようだ。

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   画像をクリックすると拡大します。

2016.10.11

山の紅葉

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       みどり池から天狗岳をのぞむ(頂上はガスの中)

 10月8~10日の三連休をつかって8月につづけて再び北八ヶ岳へ出かけた。北八ヶ岳はなだらかな山容で初心者向けではあるが、石がごつごつゴロゴロしている道が嫌だとかみさんが言うので、少しは土が多い稲子湯から天狗岳に登るルートを選んだ。今回は標高2000m以上の山の紅葉を見るのが主目的である。紅葉はお花見よりは見る時期が長いかもしれないが、うまく出かけないと逸してしまうから、昔から風流のアイテムの一つであるのだろう。

 それにしても、天気が悪い。あずさの指定席や小屋と稲子湯(一応温泉宿)の予約など一か月前にするから、10月には晴れてほしいと思っていたのだが、結局夏からの不順な天気が解消しなかった。9日の朝まで秋雨前線がかかって昼過ぎには晴れる予報もぱっとせず(気温だけは急に下がった)、山はガスにおおわれ通しであった。

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 天狗岳(2540m)は諦めたが、黒百合平までは頑張って登って(かみさんにはまた不評だったが)下ってくる途中ようやくガスが少し取れて見えた景色。

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 しらびそ小屋は、みどり池畔の静かな山小屋。

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      窓辺にやってくる本土リス

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 久々に小海線に乗って帰りに清里に寄ってみた。駅周辺は昔の人のにぎやかさはなく、ほとんどの人が車で来るらしく、萌木の村というところのジャムの店でお茶など

2016.08.15

南会津の空

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 毎年、所属する天文グループの夏合宿、ということで南会津の楓林舎というペンションに通っている。星見や野鳥観察、冬のスノートレッキングなどで訪れる宿として知られている。今年は、8月11~13日のペルセウス座流星群の観測に合わせて我々が貸し切りで泊まった。
 以前は、八ヶ岳の山麓に観測所を持っていたので,夏もそこに集まったのだが、10年ほど前に運営上の問題から撤去して以来、風林舎を利用させていただいているという常連(オーナーは大学時代からの知り合い)である。

 昨年は、エルニーニョの影響でほとんど晴れなかったが、今年は数日前のGPV気象予報で十分晴れそうで期待していた。11日は、昼から快晴で宿につくと「晴れすぎて夜曇るかもね。」とオーナーに脅かされたが、12時すぎまで晴れていた。本番の12日も、GPVは確実に一晩中晴れの予報なので、ぺルセの大出現を見られるものと確信していた。

 案の定、夕方から空は晴れ渡っていた。ところが、月の影響がなくなった12時過ぎから、もやった空になり星が見えなくなってしまった。人間というのは、自分の信じていたことが、それに反した状況になっても、それを認めることができない、ということを身をもって知ったのだが、すぐにまた晴れるはずだと思って何もせずにいた。それが夜半ずっーと続き、結局ペルセウス座流星群の大出現を見れずに終わってしまったのである。仲間のうち約2名が2時過ぎに車を出して、ひと山超えたところまで行ったところ快晴で、流星を1時間に30個ほど見たという情報を知ったのは、朝になってからのことであった。

 どうも、この楓林舎のある場所の地形が凹地になっていて、良く晴れると放射冷却によってここだけ霧が滞留するようなのだ。それにしても、晴れるか晴れないか微妙な天気だったら、もっと早くに移動していただろう。そう思うと、信じることの危うさというか、状況に応じた行動をとることがいかに難しく、かつ重要かという場面に、遭遇したことを、反省として悔やみつつ、ひと夏のつらい思い出になるだろうと、かみしめている今日この頃。

 冒頭の写真は、2日目に撮った写真で、南会津はまだまだ清流というか、空も随一の暗さを誇る場所ですというつもり。

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